表現活動

文章力を確実に鍛える8つのトレーニング法 【メンタルからスキルまで】

投稿日:2020年5月19日 更新日:

 

1.箇条書きを利用する

一般的に文章は、一文を短くすることで分かりやすいものになります。その代表例が箇条書きという方法論です。

少なくない機会で「文章が苦手なので箇条書きにします」と言って情報を書き出す方に出会うことがあります。逆に言うとそれは、文章が苦手な人でも箇条書きなら頭の中をアウトプットできるということです。

箇条書きは最も情報を端的に表す方法で、"分かりやすさ"という観点では最も的確なものの1つであると思います。つまり、箇条書きで情報を羅列できている時点で、その人は思考の文章化には成功しているのです。

では、何故その人達は「文章を書くのが苦手」だと言うのでしょうか?

僕はこれについて、「接続の仕方」が分からないのではないかと思っています。文章を書くことが苦手だと言う人は「文章=全てが1つに繋がっているもの」などの認識が強いきらいがあります。

なので、彼らの文章を見ると句点「。」を打つことにためらいがあるように感じます。どうしても読点「、」の方で文章を繋いでしまおうとするのです。

ですが実際には、文章は積極的に区切っていった方が分かりやすく、読みやすいものになります。

読み手の心に馴染みやすいリズムや視覚的な要素はありますが、それは書き慣れてから考えれば良いことです。まずは、文章を書く上での基本形・基本の長さを押さえることから始めましょう。

箇条書き2項目を1つの文章にする

それでは例文を使ってトレーニングして行きましょう。

例文

今日は仕事をとても頑張ってお腹が空いていたので、晩ご飯をたくさん食べようと思い、帰りにスーパーに寄って買物をし、その途中で美味しそうなグラタンの惣菜を見つけたが、今日はどちらかと言うと和食の気分だったので、悩んだ結果、隣りにあったタイムセールス中で半額のお刺身と3割引きのからあげを買って帰ることにした。

大変に読み辛い文章を書きました。
パッと読んだ感じでは、恐らく内容の3割も頭に入っていないのではないでしょうか?と言うか、1/3くらい読んだら読む気を無くしてしまってもおかしくありません。

この文章を添削して行きます。
まずは箇条書きにしてみましょう。

箇条書き

・今日は仕事をとても頑張った。
・お腹が空いてしまった。
・晩ご飯をたくさん食べようと思った。
・帰りにスーパーに寄った。
・美味しそうなグラタンのお惣菜を見つけた。
・でも和食の気分だった。
・グラタンの隣りにお刺身とからあげがあった。
・どちらにしようか悩んだ。
・お刺身とからあげを買った。
・タイムセールス中だった。
・お刺身は半額だった。
・からあげは3割引きだった。
・帰った。

要点だけを全て切り抜きました。
言いたいことは元の例文よりも分かりやすいのではないでしょうか?これが箇条書きの力ですね。

しかし上から順番に読んで行くと全ての行で新しい情報に出会ってしまい、脳が振り回される感覚があると思います。箇条書きは読むには楽なのですが、情報量が多くなると理解するのに手間取ります。

その情報を読み手の頭と心になるべく負担をかけないような流れに整えること。これが文章化の大きな役割であり、最も意識すべきポイントです。

では、それを踏まえてオーソドックスな文章になるよう添削を行ってみます。

添削

今日は仕事をとても頑張ったので、お腹が空いてしまった。だから晩ご飯をたくさん食べようと思い、帰りにスーパーに寄った。

買物の途中、美味しそうなグラタンのお惣菜を見つけた。でも今日はどちらかと言うと和食の気分。

悩んだ結果、隣りにあったお刺身とからあげを買って帰ることにした。タイムセールス中で、それぞれ半額と3割引きだった。

どうでしょうか。
かなり読みやすく(理解しやすく)なったのではないでしょうか。

文章の総数は

原文が1文
箇条書きが13文
最後の文章が6文

です。

注目したいのは、箇条書き文に対して、添削後が6文というところ。実はこれ、意識してこの結果に落ち着くように添削しました。

と言うのも、文章は1文辺り箇条書きで書き出した内容を2つずつ繋げていく程度が基本形となるからです。

正直一番下の文章も読み物としてはちょっと淡白で味気ないのですが、読みやすく分かりやすい基本形はこれだと思っています。

書いているとどうしても一文が長くなってしまう人は、箇条書きで書き出したことを2つ繋げるような接続を意識してみてください。今までよりずっと読みやすい文章が書けるはずです。

箇条書きも苦手な方へ

箇条書きも苦手だという方は、いわゆる5W1H――When(いつ)Where(どこで)Who(誰が)What(何を)How(どのように)を考え、最後にdo(した)をくっつけるようにすると、頭の整理が自然と行えます。

例えば上の例文ならば

5W1H

いつ→仕事帰りに
どこで→スーパーで
誰が→自分が
何を→総菜選びを
どのように→悩んで
した→刺身と唐揚げを買った

ここまでの情報は5W1Hの範囲で十分に抜き出すことができます。そして、自分で足りないと思う部分に追加の情報を付加してあげれば箇条書きは完成です。

そこまで行ければあとは2つずつ連結していくだけ。簡単に文章を作ることができますよ。

【発展】体言止めを利用してテンポを作る

先ほどの添削後の文章(一部抜粋)を見てみましょう。

添削´

でも、今日はどちらかと言うと和食の気分。悩んだ結果、隣りにあったお刺身とからあげを買って帰ることにした。

この部分ですが…

添削´´

でも、今日はどちらかと言うと和食の気分だったので、隣りにあったお刺身とからあげを買って帰ることにした。

これでも文章としては問題なく成立します。
ですがあえてここに句点を置くことで、読者に読みのリズムや視覚的な違いを感じさせることができます。

これは体言止めという名詞を最後に置いて文章を終わらせる技法を使っており、文章を少しだけ口語調にしたい時などは重宝します。視覚的なテンポ感が生まれるのが面白い書き方です。

またこの例文は1文目で「今日は仕事をとても頑張ったので、お腹が空いてしまった」と「ので」による接続を使ってしまっています。同じ言い回しの接続が近くに連続すると、読み手に大きな引っかかりを残す恐れが出てしまいます。できれば避けておきたいですね。

このようなリスクも、この体現止めを利用することで回避することが可能になります。

便利な方法ですが、使いすぎると大変読みづらいくなってしまうことには注意が必要です。

慣れている人ほど1文が長くなりがち

ちなみにある程度文章を「書き慣れてきた」段階の人も、1文が長くなる傾向にあります。

文章を書くことに慣れてくると、今度は書きたいことが次から次へと頭に浮かぶようになっていきます。すると細かい情報を付け足したくなって過剰な文章を書いてしまい、1文が長くなりがちなのです。作家志望の人などは陥りやすい盲点だと言えます。

なので「自分的には理解しやすいように書き足したつもりが、読み手にとってはむしろ読み辛くなっている」なんてことが起こり得ます。

そういった装飾過剰の文章を書きがちな人(人のことはあまり言えないですが…)は、本当にその表現が必要なのか、またその表現を入れたことで主語や術語、目的語の配置がめちゃくちゃにならないかをよく確認&吟味した上で文章を仕上げる努力が必要です。

あくまでも1文の長さの基本は「箇条書き2つ分の連結」です。それ以上の長さの一文は、なるべく文中で多く使わないように心掛けてください。一文を箇条書きに分断するなどして、情報が押し込まれすぎていないかなどをチェックするのも有効です。

書いている時は大丈夫だと思っていても、後から読み返すと自分でも「何を言っているのか分からない」と思うような文章になっていることも少なくありません。見直しと推敲はしっかりと行いましょう。

【余談】Twitterはトレーニング場になる

1つの文章を短くしたり、短い文章で伝えたいことをまとめるトレーニングをする場として、Twitterを利用する方法があります。

Twitterは原則140文字を基準とした短文を投稿することしかできないSNSです。誤解を招かない投稿をするためには、この140字をどう使って演出するかが重要となります。

長文で何かを語ったり思考をアウトプットする場としては決して向いているツールではありませんが、その制限があるからこそ文章力向上のトレーニング場としての価値があります。

詳しい使い方については別記事にて解説していますので、よろしければ参考にしてみてください。

Twitterは長文の練習場として最適!その正しい使い方を教えます!

2.指示語と代名詞の使い方

続いてお伝えするテクニックは指示語や代名詞について。

指示語や代名詞は文章を書く上で無くてはならないものです。同じ名詞を連続で使うと文章のリズムも悪くなり、視覚的にも見づらくなりますから、読みやすい文章を書くのに欠かせない存在です。

しかし、執筆時に文章を読みづらくしてしまうのもまた指示語や代名詞です。便利な言葉達ですが、それ故に使い方を誤ると文章を崩壊させてしまうリスクがあるのです。

僕自身、後から自分の文章を読み返すと指示語や代名詞のせいで「なんだこれ?」と思ってしまうこともしばしば。書いている時はそれで問題ないと思っていても、読み手目線に立つことで読みづらい文章だったことに気付きます。

読み手と書き手の間にある認識の齟齬、指示語や代名詞の使い方に存在する落とし穴を、分かりやすくまとめて行きましょう。

「理解できる」と「読みやすい」の違い

指示語の理解と言うと、やはり学生時代に受けた国語のテストを思い出す方が多いのではないでしょうか?

国語のテストでは「文中の"その"は何を指すか?」といった問題が出題されることは多く、誰もが一度は解いた経験があると思います。このような問題をしっかり解いてきた人達には一定の読解力が身に付いており、指示語の中身を間違うことなく理解することができます。

よって書き手はその読み手の読解力を信じて指示語を活用し、見た目に読みやすい文章を書くことを最大の課題の1つとして執筆しています。

だから文中の指示語の意味を違える人がいたとしても、7~8割の人が正しく読めているのであれば、書き手は読み間違いを読み手の読解力の責任にしてしまうことも可能です。「理解できない方が悪い」と一蹴するのにも正当性がないことはないのです。

自分は多くの人に理解できる文章を書いているのだから問題はない。文章も書き慣れてくると、そういった指標で自己評価を付けがちになります。

ですが、より良い文章を書くためには「理解できることと読みやすいことは違う」と考える必要があります。その意識が読者目線の文章を育てます。

理解できるけれど読みづらい。
そのような問題を引き起こす原因となるのが、指示語や代名詞なのです。

読み手に負担を強いる文章

指示語や代名詞を使う時に最も気を付けなければならないことは、書いている自分の頭の中は100%整理できてしまっているということです。

「この」「あの」「その」と、何かを指し示す単語を利用する際、書いている本人は何を指しているかを明確に理解して書いています。その指示語が何を指しているかを間違えることは絶対にあり得ません。

しかし読み手の立場に立つとどうでしょう?
読み手は文章を読んでいる時、筆者が何を言いたいのか、何を言おうとしているのかを知らないまま読み進めます。すると、指示語や代名詞が登場するたびに、読み手は「これは何を指すのか?」を考えなければなりません。

その指示語や代名詞を指す可能性があるもの(便宜上AとB)が直前に2つ以上存在する場合、読み手はどちらを指しているのかを判断するのに一瞬の思考を要します。それがほぼ間違いなくAだと分かる内容だとしても、考えずに読むわけにはいきません。

指示語や代名詞を多用することは、この思考負担を読み手に強いることに繋がります。1つ1つは些細なもの・理解できるものでも、文中に幾つも断定的ではない指示語が登場する文章は、読んでいる側に小さな負担を積み重ねて行きます。

つまり指示語や代名詞の多様によって、読み手を疲れさせる文章になってしまうかもしれないのです。

そして文章は内容を理解するために読むものであり、その理解に集中できるように仕立てられているのが良い文章です。余計なところの思考負担を増加させる表現はできる限り排除して行かなければなりません。

なので、指示語を思うままに多用している文章は「理解はできるけれど読みづらい」と思われやすいですし、その文章(書き手)を何度も読もうと思う人を確実に減らします。

せっかく良い内容を書いていても、書き方の問題のせいで100%の評価を得られない。そのようなことは、発信者であれば絶対に避けて行きたいところです。

読み手の目線に立って考える

書き手は頭の中で内容を理解して指示語や代名詞を使ってしまうが故に、真の意味で読者目線に立って考えることができません。自分で読み直しても、全く問題がない文章に見えてしまいます。

そういった齟齬を少なくするために、書き手には編集や校正といったパートナーが必要なのですが、個人メディアやSNSでの発信の場合は自分で全て解決して行かなければなりません。

文章を書いている(書き終わった)時、可能な限り文中の指示語や代名詞を1つずつチェックして行き、それが本当に読者に分かりやすい使い方をされているかを考えてみる。それを積み重ねることで、自然と読者目線に立った指示語の使い方が身に付いて行きます。

これはTwitterやInstagramのような短文投稿にも応用できるテクニックです。むしろ短文をチェックすることから始めることで、少しずつ伝わりやすい文章を書くことができるようになるはずです。

例えば僕は書き終わった後の自分の文章を読み返し、指示語の前の内容が的確に拾えるかをチェックしています。また作品の感想など、人名が短いセンテンスに2名以上登場する場合は、「彼」や「彼女」をあえて使わないように文章を整えています。

この記事をお読みの方も文章を書いた際には、指示語や代名詞を利用したヶ所を1つだけピックアップしてみてください。そしてそれが「本当に文章を読みやすくしているか」と30秒ほど向き合ってみてください。

1つ1つの気配りが積み重なり、新たなところに目が行くようになります。最初は面倒臭いと思いますが、0だったところに1の意識を向けることが大切です。

学生の頃、指示語や代名詞は文章を読みやすくするために用いるものと教わりました。その学びを本当の意味で正しく活用できるよう、意識を育てて行けたら良いですね。

3.「という」を多用しない文章を

次はより実践的なスキルのお話です。
長文を書く時、誰もが「という」という(←これ)言い回しを多用したくなる傾向があります。

「」で何かを挟んだ時、引用した時、第三者の意見調の言い回しを採用した時、何か1つのもの・出来事を指し示す時など、「という」を接続に使いたくなる場面は非常に多いです。

この「という」、文語表現の中では口語的な意味合いを持つものであり、比較的ライトな表現です。ブログのような少し軽めの文章や、SNSのような完全に口語体で書くような媒体ではとにかく便利。

しかし、長文を書く際の「という」は、意外と不必要な文字でもあるです。

読んだ時のリズム感は悪くないので見落としがちなのですが、目で追うことを考えるとこの「という」の三文字がすごく邪魔…という(!)ことが起こり得ます。

この記事では「という」が文中に登場しやすい理由と、それが不要な理由を解説して行きます。

多くの「という」は言い換えられる

まずは例文を持って説明しましょう。

例文

昨日、山田太郎という人から道を尋ねられた。近所に知り合いが住んでいるということらしい。彼に場所を教えてあげたら、謝礼という名目で「ひよこ」というお菓子をくれた。こういうことをすると気持ちが良いものだ。

意図的に「という」「こういう」のような言い回しを連続させた文章を書いてみました。

この文章、声に出して読んでみるとさほど違和感はないと思います。ただ、目で見ていると何となく読みづらいと言うか見づらい。視覚的に冗長に見えるため、読む気を無くしてしまう文章になっています。

では、これをもう少し読みやすいように推敲しましょう。

例文

昨日、山田太郎さんから道を尋ねられた。近所に知り合いが住んでいるらしい。場所を教えてあげたら、彼は謝礼として「ひよこ(お菓子)」をくれた。良いことをすると気持ちが良いものだ。

文中の「という」を全て削り、意味が通る言い回しに調整しました。こちらの方がパッと見の印象が大分スマートになったのではないでしょうか?

実は文中に登場する多くの「という」は、別の言い回しや表現を活用することで消すことができるのです。

読みやすい文章を書くため、1つの文章を短くするのは基本中の基本。できるだけ多くの情報を取り入れつつ圧縮するには、不必要な表現を削っていくことが大切です。

もちろん全ての「という」が不要(悪い)わけではありません。例えば上の例文では「ひよこ」の後のものを消すために、「(お菓子)」という飛び道具を使用しています。また「山田太郎という人」を「山田太郎さん」に変更したことで、以前からの知り合いとも取れる内容になりました(=誤解を生む可能性がある)

これらのように「という」を残した方が意味が通じやすい・読みやすい文章も多く、表現そのものは有効に活用すべきです。現にこの記事中にも必要に応じて「という」が使われています。

何かを指し示す時などにはベストな表現であり、それらを無理に消す必要はないでしょう。有効なものを残すために、不要な表現を削除していく。その意識が大切です。

文中に書かれている「という」が本当に必要なのかを吟味することで、より読み手に寄り添った文章が書けるようになるのは確かです。

口語と文語 伝え方の違い

では何故、書き手は「という」を多用してしまうのでしょうか?

上項の例文内で説明すると、「住んでいるということらしい」「謝礼という名目で」辺りの「という」はほぼ不必要な表現です。ですが、書き手が無意識に入れたくなってしまうのもまた不要な「という」という現実があります(「という」という…)

それはこの「という」が、説明を強調するために挿入されているものだからです。そして書き手は、何かを説明したくて文章を書くことが非常に多いです。

例えばですが、ここで例文を口で誰かに説明する=完全な口語だったらどうなるかを考えてみましょう。

例文

昨日さ、急に山田太郎って人に話しかけられて、まぁ道を聞かれてさ。近所に知り合いが住んでるってことだったみたいなんだよね。それで場所を教えてあげたんだけど、そしたらお礼ってことで「ひよこ」をくれたんだよ。お菓子のね。なんかこういうことすると気持ちが良いもんだなぁって。

文章にするとウザいですが、口で友達に話すとしたらこんな感じでしょう。

文語体で登場する「という」は、この口語で言う「って人に」「ってことだったみたい」「ってことで」のような説明の接続語に当たる部分に使われています。

これらは「その時初めて知った」「自分は他人のことをこう解釈した」といった細かい意味合いを込めるために利用されています。この接続のおかげで、聞き手は瞬時にその状況を飲み込み、会話を行うことができるわけです。

ですが、口語を文章にそのまま起こすと非常に気味が悪い感じになってしまいます。よって、何かしらの文語的調整が必要です。

口語で話している説明的な要素をなるべく残したまま、文語的におかしくない表現を考える。すると必然的に「という」を使った文章が思い浮かんでしまうのです。

すると、近しい位置に多数の「という」が存在する文章に仕上がってしまい、文章表現的にもイマイチで視覚的にも読みにくい構成に着地します。

読み手目線で考えること

前述した通り、この「という」の問題は読み返した時に"自分で気付きにくい"ことです。

自分の中では説明したいことは全て含まれた文章のはずですし、それを最小の表現で実現しているのだから問題はない。そう判断してしまいがちです。

しかしながら口語には必要でも、文語には必要ではない表現も存在します。文章は会話よりも時間をかけて、何度でも読み返して意味を知ることができるからです。

例文(再掲)

昨日、山田太郎さんから道を尋ねられた。近所に知り合いが住んでいるらしい。場所を教えてあげたら、彼は謝礼として「ひよこ(お菓子)」をくれた。良いことをすると気持ちが良いものだ。

この改稿後の例文は「という」を排除したことで説明的には不十分な構成、100%を書き切れていない内容になっています。ですが、読み手が受ける印象は改稿前のものとほぼ変わっていないはずです。

書き手は脳内の全てを文章にして伝えたいと思ってしまいがちなものの、実際は書いていない部分も読み手には伝わります。であれば、読みやすい(読んでもらいやすい)文章に仕上がっている改稿後の方が、純粋に「優れた文章である」と言えるのではないでしょうか。

読み手目線で考えた時、"技術として"不必要で冗長な表現はたくさん存在していて、それは味や個性以前の問題です。そしてその1つがこの「という」を多用してしまうことに間違いはありません。

今日から文章を書く時、不要な「という」がないかの確認を是非行ってみてください。半年後には確実に文章の質が向上していると思います。

4.「」(かぎかっこ)の効果的な使い方

最後にお伝えするのは実践的でありながら、書き手によって推奨非推奨の個人差があるスキルです。

文章を分かりやすく見せるため、「」(かぎかっこ)を文中に取り入れるという方法論です。僕は個人的にこの「」や""を使って文中の表現を強調することを好む書き手です。

一般的な使い方としては、「」は登場人物の台詞や引用文などを囲って差別化するために利用されるものです。それはさすがに言われるまでもなく理解しているという方が大半でしょう。

しかし文章作成の観点では、もう少し「効果的な使い方」にバリエーションがあります。

この手法はやりすぎを嫌う人もいますが、上手に取り入れることで確実に読みやすい文章を書くことができます。そして実際に活躍している書き手の多くは、こういった強調表現を効果的に使っている人が多いです。

その使い方について、最後に学習して行きましょう。

視覚的なポイント作り

では例文を使って考えて行きましょう。

例文

他人に文章を公開することは自分はこう考えているという意思表示です。それはつまり確固たる自分の考えを生み出すことでもあります。

この文章に「」を挿入してみます。

例文´

他人に文章を公開することは「自分はこう考えている」という意思表示です。それはつまり「確固たる自分の考え」を生み出すことでもあります。

上も下も内容は全く同じで、どちらも文章としては成立しています。かぎかっこがあるかないかだけの違いです。ですがかぎかっこがある下の文章の方が、視覚的にかなり読みやすく感じるのではないでしょうか?

「」を文中に取り入れることで、その部分が立体的に演出されます。読み始める前に一部分だけが先に目に飛び込んでくるとしたら、それは「」でくくられた部分でしょう。そしてそれは、その文章の大まかな内容を知らせる機能を持ちます。

また読点を使わずに文章の見た目を整えることができるのも大きなメリットです。この例文は文中に読点を打つには微妙な長さで、問題はありませんが形が少し不格好になってしまいます。今回の場合は、読点よりもかぎかっこを入れた方が見た目にも分かりやすいと思います。

「」でくくるべきポイント

文中で「」でくくるのにオススメのポイントは

ポイント

・第三者の台詞にできそうな部分
・その文章で特に大事になる部分
・自分が一番言いたいことが書かれている部分

などでしょうか。
学校の教科書の重要な部分にマーカーでラインを引くようなイメージで利用する、というのも良いかもしれません。

僕は囲う部分が一定の長さの文章(助詞で繋がれてるもの)や、多くの単語以上で構成された言葉についてはかぎかっこで強調するようにしています。

それよりも短い1,2単語や前後の文章との違い(1,2文字)を強調したい場合、「」の中をさらに囲いたい場合は""を使っています。短い部分を「」でくくってしまうと、文章が単純に読みづらくなってしまい、読み手の意識を削ぐと考えるからです。""はその点、主張が控えめで便利です。

「」は便利な表現ですが、1つの文章で多用しすぎてしまうと見た目がごちゃごちゃして、逆に何が言いたいのかよく分からない文章になってしまうこともあります。この項を参考にしながら、自分の文章に合った独自の「」を利用するタイミングを考えて行けるがベストです。

このブログのような文字に線を引いたり色を付けたりすることが可能な媒体では、「」を使うよりも文字装飾を利用した方が見やすいこともあります。それは執筆媒体によって使い分けを行うようにしましょう。

その他、一番上の「"第三者の台詞にできそう"ってなに?」とお思いの方もいるかもしれませんが、正にこの一文で利用した「」がそれに当たります。読者が感じていそうな疑問点などを、読者の心情とリンクさせる形で利用するのが一般的です。

ただし、これもやりすぎると視覚的に文章が見づらくなるだけでなく、そもそもそんなこと思っていない人をイラッとさせる可能性もあります。何でもかぎかっこに頼りすぎず、その他の文章表現を駆使してあげることも重要です。

『』の使い方

強調の意味で、「」よりも見た目にインパクトがある二重かぎかかっこ(『』)を利用するパターンもあります。

ただ、個人的には『』強調はあまりオススメしていません。かぎかっこ系の記号が文中に複数種類登場すると、見た目がどんどんごちゃごちゃして行ってしまうからです。

正直なところ僕も昔は取り入れていましたが、現在では見た目の読みやすさを優先して、かぎかっこの種類と数はできるだけ少なくするようにしています。

ちなみに『』は一般的な使い方では作品名をくくるのに利用されるかぎかっこです。『』に入れられた作品の副題や重要なポイントは「」でくくります。

作品名を引用した文章を書くことは少なくないことだと思います。その最も基本的な使い方だけはしっかり押さえて、必要な時だけ使うように心掛けましょう。

おわりに

文章力を向上させる8つのトレーニング法を、【メンタル編】と【スキル編】に分けてご紹介してきました。

これらは全て僕が実際に行っていることであり、また僕が10数年に渡って執筆活動を続けてきた積み重ねの記録でもあります。

文章力を向上させる秘訣は、結局のところ書いて書いて書きまくるしかありません。頭の整理が自然と行われるようになれば、理路整然と書ける範囲もどんどんと増えて行きます。

とは言うものの、明確な指標や目標なしに"続ける"というのは非常に難しいことです。技術的なことは、人から教わらなければ上達しない部分ももちろんあります。

僕もまだまだ発展途上。今後より分かりやすく、求められる文章が書けるよう、日々努力を重ねて行きます。

この記事がそんなより良い文章を書くことを目指す方々にとって、新たな活力となるものでしたら幸いです。共に文章を、そして日本語を極めるためのトレーニングを続けて行きましょう。

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