表現活動

文章力を確実に鍛える8つのトレーニング法 【メンタルからスキルまで】

投稿日:2020年5月19日 更新日:

良い文章を書きたい。
でも自分には文章力がない。

言いたいことや表現したいことはあっても、それを読みやすく、伝わりやすく、適切にアウトプットすることには技術が必要です。それの身に付け方が分からず、諦めてしまっている人も多いはず。

だからこそ日常的に活用できる心構えや知識によって文章力を向上させる方法が求められています。周りの人よりも少しだけ踏み込んだ文章力・表現力を持っていてそれを褒められたら、ちょっと鼻が高いですよね。

この記事ではライターとして活動する僕が、誰もがより良い文章を書くための心構えや知識、実践的なトレーニング法を【メンタル編】と【スキル編】に分けて紹介して行きます。

長い記事ですが、全てを実践できれば確実に1ランク上の文章が書けるようになります。よろしければ参考にしてみてください。

はじめに

まずは心構えから。

どんなものであれ、文章を書くことは決して特別なことではない。この意識を持つことが大切です。

やはり誰しも、自分の頭の中を正しく伝えたいと思うからこそ「上手く言葉にできない」と壁にぶつかってしまいます。そして「自分には文章力がないから」と、自分で自分の中に閉じ篭っていってしまいがちです。

日本人である以上、日本語はどんな人でも扱うことができます。そして誰にでもできるからこそ文章力が必要。そう思って自分で自分のハードルを上げてしまうことも少なくありません。

確かに技術や文章力は必要なものです。
ですがそれらが全てでは決してありません。

例えば自分の気持ちを相手にストレートに伝えられる文章は、必ずしも上手に整った文章とは限らないのです。

技術が伴ってない記事や呟きは文章ではないのか?と言われれば、そんなことはありませんと答えます。誰もが日々書いている取り止めのないことも、立派な『文章』の1つです。気持ちを文字に吐き出すことその物が、もう「文章を書いている」ことに繋がります。

日常生活で何か嬉しい・悲しいなどの心の動きを感じた。でもそれが上手く言葉にならない。そういう時に「自分は文章が書けないからなぁ」と引き下がってしまうこともあるでしょう。でもそれこそが悪い思い込みです。

文章を書くことに明確なルールはありません。思ったことを殴り書きしてしまえば、それが始まりです。そこから自分のやり方を伸ばして行けば良いのです。

「ちゃんとしなければならない」という思い込みが、上手く書けない自分を生み出します。

そうして自分に自信を持てないうちは前に進むことはできず、「文章力のない自分」をそのまま放置して諦めてしまうことにもなるでしょう。

ですので、まずは「文章を書くことを特別だと思わないこと」が大切です。

あなたが普段行っている発信の1つ1つをしっかりとベースにして、あなただけの文章力のトレーニングを始めましょう。

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1.文章を積極的に公開する

文章を書くことは特別なことではない。その心構えを作ったら、次に実践すべきは自分の文章を積極的に公開していくことです。

それが時につたない文章であったり、何が言いたいのか自分でもよく分からないものでも良いと思います。それを公開することに恐れや恥じらいが生まれるのも当然理解できます。

ですがここで1つ伝えておきたいのが、あなたの周りにいる人の大半はあなたが文章を書いたとしても、全く気にも留めません。読むこともありません。僕も文章を書くようになって長いですが、身内に限って言えば僕の文章に興味を持ってくれている人はごくわずかです。

人間は自分の興味がある分野か、特別に興味がある人以外の文章を読みたいと思っていません。時間がかかるからです。絵などと違って文章は視覚的に理解することができないため、文章を楽しむ=その文章にしっかりと時間を割くことに繋がります。これはなかなかしてもらえることではありません。

その中であなたが書いたものを読んでくれている人はとても大切な存在ですし、そういう人に出会うキッカケにもなります。そのような人があなたの文章のつたなさを指摘する可能性も低いでしょう。ですから、あなたがどんな文章を公開したところで全く問題はないのです。

しかし文章を公開することで、その行為に対する印象は残ります。続けていると、周りに「何か文章を書いている人」というイメージが定着するはずです。そうなれば、あなたが文章を公開していることは"当たり前のこと"になっていきます。

その過程でだんだんと自分の文章に興味を持ってくれる人が増え始め、文章を書いて公開していることへの自信もついていきます。その時にはもう、文章を公開することに引け目を感じることは無くなっているはずです。

人の印象変化にかかる時間はさほど長いものではなく、スタートさえできれば意外とすぐにその時は訪れるでしょう。

既にSNSなどを使いこなしている方は、いつもより少しだけ長い文章、少しだけ言いたいことを長く含んだ文章を意識して公開する。それを続けてみてください。

「文章=自分の頭の中」を意識する

誰かに見せるのは文章力の向上において本当に大切なことです。これは文章に限ったことではありませんが、文章では特に重要なことだと思います。

そもそも文章に書き出すことには「自分の頭の中を整理する力」があります。

何かとんでもない感情に苛まれた時、それを書き出すことで自分の本当の気持ちに気付けることは少なくありません。何かを発信・発言した時に「自分はこんな風に考えてたんだ」とハッとした経験は誰しもに存在しているはずです。下の記事も参考にしてください。

日本人に最適なストレス解消法は「悩みを書き出す」こと!?人に話すよりも良い理由とは?

それを他人に公開することは「自分はこう考えている(感じている)」という意思表示です。それはつまり「自分の考えを他人に伝える」ことにも繋がります。

文章を書く=自分の頭の中をアウトプットすることであり、転じてより広い視野と考えを持つ人の文章は、それだけで魅力的なものへと変化して行きます。だからこそその考えを公開しなければなりません。

何故なら、人の考えや感情は他人に公開していなければ簡単に変更できるからです。

人の頭の中は案外、その場しのぎで簡単に180度違ったものにすることができてしまうもの。自分の頭の中でだけ「本当の考え」だと思っていたことは簡単にひっくり返せます。明日には変わって、明後日には戻っているかもしれません。

ですがまとまった考えを持っていない人は、アウトプットできる内容の質もあまり良いとは言えず、それを発信する文章力も行き当たりばったりなものになってしまうと言えます。

文章を書くことは頭の中を整理することと密接にリンクしています。自分の頭の中を1つの文章にまとめ上げておくことで、自分自身の気持ちや考えと向き合うことができるようになります。それを継続すると自然に自分の心と頭の中が整理されて行く。この循環を生み出すことが可能です。

ブロガーの中にも「ブログを書き始めるまでまともに文章なんか書いたことはなかったが…」という人がたくさんいて、継続している方々は2年程度の運営で物凄く分かりやすい記事を書かれていたりします。

以上のことからも、本気で人に見せることを考えることは、文章力を確実に引き上げる道筋となってくれるのが分かります。

「他人に見られる」意識を持つ

公開するとは、悪い言い方をすれば「他人に縛られる」環境を作ることとも言えます。

最初はそれが窮屈に感じるかもしれません。でもそれこそが文章力を向上させるための重要なトレーニングです。

公開を続けていくにつれて、自分が書きたいこと、文章に起こしたいことも増えていくでしょう。すると「これは本当に公開して問題ないだろうか」など、客観的に自分の文章を分析するようにもなっていきます。自分の考えを自分ではない立場になって考える姿勢、「第三者の視点」で物事を考える意識が身に付きます。

さらに公開を考えることによって、自分とは違う自分、自分の考えを否定する自分も見えてきます。その否定をさらに否定して。自分の中で自問自答を繰り返すことでより真に迫った文章を書けるようになるのです。

文章を公開することで「書きたいことをどう書くべきか」考える能力が鍛わります。これが根本的な文章力の向上へと繋がります。

何かを書かなければならない、話さなければならない場面は、人生に何度もあります。その時に自分を誤解されるようなアウトプットしかできなかったら悲しいですよね。できるだけ正確に伝えたい。自信を持って発信したい。そう思ってもすぐにはなかなか難しいものです。

普段から自分の考えを公開する意識があれば、言葉を使った対応力も同時に磨かれ、鍛えられます。

自分の文章に自信をつけるためにも、思ったことは積極的に書き起こして公開して行きましょう。

2.文章への反応を"探す"こと

では次に、公開した後にすべきことを考えます。

文章を公開した直後は必ず自分の中に新しいものが宿った感覚があると思います。達成感などに近い感情でしょうか。どんな内容でも一定の満足感が得られるはずです。人間の頭は欲深いもので、何か1つやり終えるとその続きを求めて動いてしまいます。

文章においても、そうした「公開した続き」を自然に求める意識が芽生えます。

具体的に言うと、自分の書いた文章への反応です。これを確認することも、文章力向上のトレーニングとして機能します。

例えば創作物であれば、閲覧者の反応(感想)が一番に気になりますよね。ニュースや出来事に対する意見などであれば、それに反応(同意)してくれる人を求めるはずです。

その「反応が欲しい」という気持ちを逆に利用して、自分の文章を高めて行くことが可能です。その方法をこの項で見て行きましょう。

同じことを語っている人を探す

意見や考えを書いた文章の場合「他人から反応をわざわざ求める」ような、そんな危険を犯す必要はありません。批判的な意見を返されるリスクは十分にありますし、そうなった時に心に負うダメージは想像以上に大きいものです。

ですから、あなたと同じようにそれを語っている人を探してみましょう。ホットな話題であればSNSで検索をかけることで、幾らでも同じようなことを語る人を見つけることができます。

自分と同じ考えの人を見つければ同意されたような気分になりますし、逆に違う考えの人を見つけてもあまり傷つくことがありません(直接言われたわけではないので)むしろ「なるほど。そういう考えもあるのか」と、幾分か冷静に受け止められることも多いです。

「自分はこう思うけど、他の人はどう思っているんだろう?自分の言ってることと違う意見を持ってる人はいるかな?」と自分の書いたことの外側に興味を持つこと。そうして新しい情報を手に入れようと動くことで、視野や思考は拡がっていきます。

この記事を読んだ後は試しに何か1つ、文章を発信してみてください。好きな作品の感想、またはニュースへの所感などが分かりやすくて良いですね。

すると自分と同様に語っている人の意見が、今までよりずっと耳に入りやすくなると思います。ネットでたまたま見かけた関連記事、テレビのコメンテーターの些細な発言。そういったものも、自分にとっては何か特別なもののように感じてくるはずです。そしてそれにまた反応を返したくなっている自分の存在にも気付くでしょう。

人間は外に向けて発信することで、その内容に関係した意見を圧倒的に真摯に受け止めることができるようになります。これが文章を書くことの大きな意義であり、その後もより良い文章を書くために必要なことなのです。

×"自分と相手" ○"意見と意見"

人の意見を気にするようになったことで、自分にも新しい変化が訪れます。

例えば、あなたは自分と同じような意見を見つけました。言いたいことは自分とだいたい同じです。でもその意見は自分の発信したものよりもずっと深く、分かりやすく掘り下げられたものだったとしましょう。

あなたはきっと「こんな素晴らしい意見を書けるなんてすごい」と思うでしょう。そして「自分もこんなクオリティで発信できたらなぁ」と続けて思うかもしれません。

そうしたら、その自分より優れた意見を引用したり、それと同じような文章を自分の言葉で書いてみてください。自分より優れた相手を見つけた時、その人の真似をしてみることは大切です。もちろん、コピペなどで自分のものであるかのように発信してしまうのは駄目ですが、自分なりに言い換えることは大切なトレーニングです。

では逆に、自分と真反対の意見を言っている人を見つけたらどうでしょう。意見を公開したことであなたは"自分の世界"を持ちました。それを否定するような意見を見つけたら、もしかしたら反論したくなるかもしれません。

ネット上で全く交流のない人に反論を送るのは褒められる行為ではありません。しかし、相手への反論を考えること自体はとても良いことです。それは既に自分の頭だけでは届かなったレベルの思考だからです。ひいてはその反論を自分の考えに折り込むことが、より優れた意見を発信する力になります。

もっと踏み込んだところでは、自分の発信した意見を完全論破するような意見に出会ってしまうかもしれません。そういう時は頑張って対抗しようとはせず、真反対の意見を受け入れて考えを改めることも大切です。

一度公開した意見を撤回することはとても恥ずかしいことで、多くの人が意固地になってそれを拒否してしまいます。ですがその恥を乗り越えて意見を変えられる人は、その経験をも自身の財産へと変えていくことができる人です。

これらは全て、直接やり取りをする必要は一切ありません。自分の頭の中で解決させ、結論を個人的な呟きや記事・作品としてまた新たにアウトプットすれば良いだけです。

あなたと誰かが競い合うのではなく、あくまで意見と意見を競い合わせるイメージで文章を書きましょう。

あなたの発信するものとあなたの人格は、100%同一のものではありません。そこを切り離して考えることが、発信者として活動するコツだと思います。

近年はこういった認識を育てないまま他人を批判することだけを覚えてしまった人達が、暴走する姿がよく見られます。そうならないためにもまずは基礎的な意識をしっかりと持ち、トレーニングに臨むことが大切です。

3.正しい批判を覚える

自分の意見を文章にする。
その意見と周りの意見を比較する。

ここまでが継続できたら、それを深めていく上で実践すべきこととして「正しい批判」を覚えて行きましょう。

文章の表現力を鍛えたいのであれば、「批判から始める」ことが最も簡単かつ的確です。これは絶対的なことだと思います。

しかし批判とは悪口と常に隣り合わせです。
一歩間違えば誰かを不快にしたり、周りの人から嫌われてしまうリスクも孕みます。これらは実際のところ、軽率に発信して良い内容でもありません。

その中で「上手な批判の方法」を覚えれば、言いたいことを相手に伝える、分かる人には分かってもらえる内容をアウトプットすることは可能です。

それを発信すべきか否かまで含めたトレーニング法を、この項で把握して頂ければと思います。

"悪い"には明確な理由がある

物事の悪いことは、良いことよりも遥かに明確なものです。

良い印象の多くは感覚で捉えるものですが、悪い印象には必ずそう思ってしまう理由が存在します。

まず自分の中での「良い人」を思い浮かべてみてください。その人はきっと親切であるとか、文句を言わない・怒らないだとか、「抽象的な概念」を理由に"良い"と思っていることが多いはずです。

逆に「悪い人」を思い浮かべたらどうでしょう?誰かを殴った、暴言を吐いた、何かを盗んだなど、自分または他人にかけた「具体的な迷惑」をもって"悪い"という感情が出てくるのではないでしょうか。

そして前者は自分が「良い人なんだよ」と言っても赤の他人に良さは伝わりませんが、後者の悪い人は、誰に話しても悪い人だと一発で伝わります。

このように悪い理由・嫌われる理由は具体的かつ明確であることがほとんどであり、考えれば絶対に辿り着くことができます。それが思い浮かばないのに何となく嫌いと思ってしまう場合は、分かるまで考えてみた方が良いでしょう。

自分の中にある負の感情に対して「何故、悪いと思うのか」をひたすら自問自答してみる。その"何故"の先には必ず答えが見つかるものです。

何かを批判することはこの"何故"を追求し、現実を紐解いていく過程そのものです。よって批判を覚えることは「的確に物を見定め意見を言う」能力を養うことに繋がります。本質的に物事を見て、何が正しく何が間違っているのかを語るには、批判という行動が必要不可欠です。

1つの物事をまとめ上げて文章にするトレーニングとしては、批判をテーマにするのが最適なのです。

「理由はどうあれ、何かを悪く言うのは良くないことだ」という認識の方もいるでしょうが、悪いものを悪いと言うのは決して間違ったことではありません。悪くないものを悪いと言ってしまったら、それは悪口です。

正しい内容を正しく書けば、それは間違いを正す行い=是正となります。公開した場合、それを支持してくれる人もいます。批判を過度に恐れる必要はないのです。

では、どのようにして批判することが、意見としての価値を持つのか。それを考えて行きましょう。

"悪い事実"と"悪口"の違いを考える

批判の際、最も気を付けなければならないのは、批判のつもりが悪口になっているという状況です。

悪いところには理由がありますが、それを指摘する自分自身は、事実よりも憎悪や嫉妬などの感情で動いていることは少なくありません。むしろ非常に多いと言えるでしょう。

こうなってしまうと、自分自身は正しいことを言っているつもりでも、周りから見ると鬱屈した感想を述べているようにしか見えなくなってしまいます。

これはどんなに卓越した文章力を持った人間であっても、決してゼロにすることはできない問題です。だからこそ自分の発信することが「悪口」ではなく、誰が見ても「悪い事実」であるのかどうかを一歩引いて考える必要があります。

具体的に言うと、「悪い事実」とは行動や結果を示していることが多く、「悪口」は人格批判であったり、憶測や予測を元にした発言が大半です。

何かを批判する時は、その根拠が現実に存在しているのか、それとも自分の頭の中にしかないのか、それを意識して考えてみると良いかと思います。

もう一つ加えるなら、その事実を沢山の人が批判しているかもチェックしておくべきです。同様の批判が少なければ、多くの人はそう思っていないかもしれません。少数派にくくられる批判は場合によっては「正しくない集合」であり、多くの人から悪口に見られてしまう可能性があります。

これは頭で感情をコントロールすることと言って過言ではないでしょう。何かを褒める場合でも感情のコントロールは必要になりますが、批判の場合は、思考の先に「正解」が存在しているのが大きな違いです。結果が明確であることで、自分の発言を客観的に見る機会を多く得られます。

これが批判することの大きな意味なのです。

文章を書くトレーニングにおいて、書くべきことがあらかじめ設定されていることは大きなメリットです。そして文章を書くために必要な思考のプロセスも、大まかには模範解答が存在しています。

多くの人に求められる「書くべき文章」というのは、物事の本質に迫る内容であって然るべき。批判はそういった文章を書く文章力を鍛えるための、土台になってくれるものなのです。

批判と悪口の違いについては、こちらの記事で詳しく解説しています。合わせて参考にしてください。

批判と誹謗中傷は違うもの「正しい批判」と「正義の暴走」の線引きとは

批判には細心の注意を払う

悪いところには理由があり、批判はその理由を語る行動です。それを誰かに伝えるには自ずと話の構成力が要求されます。

例えば、「あの作品Aは面白くなかった」という批判を行うとします。それに対し「どこが良くないの?」と誰かに問われた時、「全体的に詰まらないから」という答えでは相手はきっと納得してくれません。

意見を同じくしない人に納得してもらうには具体的な理由が必要です。例えば「脚本が良くない」と言えば、多くの人が一定の理解を示してくれるはずです。しかし、それを好きな人にとっては到底理解できない内容となってしまいます。

なので、これをより明確な内容に切り替えます。
「脚本が単調。しかもラストに向かって説明のなかった新設定が出てきてついて行けない」と、強い具体性を持って語れば語るほど「なるほど」と思う人の割合は増えるでしょう。「あなたには賛同できないが言いたいことは分かる」という人も出てくるかもしれません。

説得力のない批判は、いくら事実であっても悪口になってしまいます。そうならないために悪い理由を複数探し、それを相手に伝わるように整えて語ることが必要不可欠です。

批判は相手に伝わるように書くことができないと、「変なことを言う奴」という烙印を押されかねません。褒めることはどれほど拙くても、相手を不快にすることはよっぽどない分、気が楽と言えます。

何かを悪く言うことは、自分が悪く言われることと表裏一体。質の悪い批判を重ねていると、当然周りから人が逃げて行きます。

だからこそ、自分の発言に慎重にならざるを得ません。もしあなたが何かの批判を公開するとしたら、その文章の作成には必要最大限の情報を書き込むようになるかと思います。それは文章力のトレーニングという意味でも、非常に重要なスキルアップに繋がります。

そのように真摯な批判を繰り返していると、同様の機会において書けることがどんどん増えて行きます。すればするほど内容も精査されて、質の良い文章が書けるようになって行くのです。

言いたいことを正確にまとめる術

批判にはもちろん相応の失敗もあり、後から「なんで言ってしまったんだ」と思う日も必ずあります。それは本当に恐ろしく、心に傷を残しかねない失敗になるかもしれません。

でも、それもまた大事な試行錯誤の賜物です。大きな失敗は大きな反省の機会となり、その後の文章作成に大きな影響を及ぼします。信頼性の高い情報だけを発信できるように、少しずつ洗練されていくのは間違いありません。

文章の正しい構成方法は、探せば無限のノウハウが見つかることでしょう。しかし、「自分の言いたいことを正確にまとめるノウハウ」はどこでも学べません。自分で学んでいくしかありません。批判という方法論は、確実にそのノウハウを自分のものにする近道となるのです。

とは言うものの、批判の公開は常に誰かに嫌われる危険性を残し続ける行いです。いきなり普段していなかった批判を公共の場で始めると「おかしくなってしまった」と思われても文句は言えません。

最初は公開する前提で批判の文章を書いてみて、その文章を自分だけでよく見直すようにする。または大事な関係が存在しないアカウントや匿名で投稿できるサイトを利用しての発信を実験してみるなど、発信の形態と方法についてはしっかりと吟味を行ってくださいね。

4.褒める文章を書く

いよいよメンタル部門のラスト。
最も重要な文章力トレーニングを紹介していきます。

それは「褒める文章を書くこと」です。

前項の通り、最も簡単かつ有効な方法論は何かを批判することです。ですが、逆に言えば批判までは誰でもできるようになることであり、批判だけを得意とする語り屋はインターネットを探せばごまんと存在します。

だからこそその批判で培った文章構成ノウハウを応用して、自分の好きなものを理路整然と褒めまくることにチャレンジしましょう。

何かを褒めることで不幸になる人はいません。全肯定で論理が成立しているものこそが、現代では最も世間から望まれている文章に違いありません。実際に僕は、この全肯定が高いレベルで行えるようになったことで、多くの人に自分の文章を読んでもらえるようになりました。

批判よりはるかに難しいですが、何事にもノウハウは存在します。僕が培ってきたその一部分を、最後に皆さんにお届けしようと思います。

"好き"は一言で伝えられる

ではここで、自分が今一番好きなもの(人)を頭に思い浮かべてみてください。そしてその好きなものがどう素晴らしいのかを語ってくれと言われたとします。

あなたはすぐに筆を執り、理路整然と伝わりやすい文章で良いところをまとめ上げることができるでしょうか?

これは想像しているよりもとても難しいことです。好きなものを語る時、人は語彙力を失って端的な言葉に頼りがちだからです。

「全部好き!」とか「好きだから好き!」のようなストレートな表現はもちろん、ネットでは「尊い」とか「無理」とか「エモい」など一言で表現する人が多いです。そんな一言でも十分に自分の「好き」という感情は人に伝わりますから。

ですがこれは極めて主観的な感情で。あなたのことをよく知る人はそれを見て好きなものに興味を持ってくれるかもしれません。それはとても素晴らしいことです。ですが文章力を向上させるという観点では、もう1歩踏み込んでおきたいところです。

あなたを知らない人がその文章を読んでもしっかりとその良さが伝わるような、そんな褒め表現を目指して行きましょう。

"好き"の説明は最高のトレーニング

"好き"という感情は気持ちだけで成立するものであり、本来それに理路整然とした理由は必要ありません。説明する必要はありませんし、好きと言えば伝わることだからです。感覚的な"嫌い"を正当化する表現には「生理的に無理」がありますが、「生理的に好き」という言い方は一般的にはしませんよね。

しかし、だからこそ周りの人達はその「良さ」を積極的に聞いはてくれません。「あなたは好きなんだね(自分は興味ないけど)」で終わってしまうことが往々にして多いのです。

故に、好きな物の良さを語って伝えることは必要ないものだと判断されがちであり、そのまま考えることをやめてしまうパターンは多いと思います。

だからこそ好きなものをしっかりと語る(褒める)ことに挑戦するのは、文章力を鍛える最高のトレーニングとなり得ます。

好きな物の好きなところで"読ませる"には、相応の説得力が要求されます。それを出すためには知識やスキルが必要です。

例えば、好きな作品を褒めようと思った時、作品創りの知識があれば細かいところを指摘して褒めることができます。好きな人物を「性格が良い」「顔が良い」を超えて「どう良いのか」までを仔細に褒めるには、沢山の人達と過ごして培われた自分の人生観や価値観、"見る目"と呼ばれる能力が必要でしょう。

このように物事を褒めるには、文章力以上にその対象を「どう見るか」という視野の広さが必要であり、知識や見識が多岐に渡るほどより説得力のある素晴らしい文章が書けると言えます。

そのためにはより多くの価値観や物事に触れなければなりません。そこで前項で書いた「正しい批判を行う」「自分と違った意見に触れる」といった行動が大事になるのです。

最終的にはこの「自分の好きなものを褒めること」を目標として、より広い視野を得るために批判する。何故なら、批判は別の何かの肯定でもあるからです。この積み重ねが多くの人の心を動かす善良な文章を生み出す糧となります。

知識がないけど好きな物は好き。人生で最も重要な価値観であり、大きな心の救いになるものは大抵そういうものです。ですがそれをそのままにしておくと、自分の殻に閉じこもって周りの反応を見ない人間になってしまうかもしれません。

そのような人達の一部が、善良なファンを困らせる迷惑行為に及んでいるのだと思います。自身の感情を適切にアウトプットする能力がない人間は、他人を攻撃する・マウントを取ることでしかそれを処理できなくなることも少なくありません。

これは文章力を向上するトレーニングとしても重要ですが、それ以上に自分をコントロールするための思考のトレーニングとしても機能するものです。実践することで、何かモヤモヤしたものに苛まれる時間が減って行くと思いますよ。

感情のコントロールを学ぶ

そしてこれらを繰り返し、ある程度までこなれてきた人に立ちはだかる大きな壁。

それは感情を書きすぎてしまうことです。

好きな物を好きと語れるようになると、今度は想いが溢れすぎるせいで書きまくれてしまうのです。あれも書きたいこれも書きたいと思い、ガンガン思いの丈を文章にぶつけるようになってしまいます。

当然、書きまくれるだけでも十分すごいこと。自分の想いを形にできるというのは、それだけで誇って良いものです。ただ、それを誰かに見せて伝える文章にしようと思うと話が変わってきます。

受け手にとって、頭にスッと入ってこない感情表現は異物です。なので書いたことの中から何が重要で、何を削るべきなのか。ここでは何を書いて、残りの話はどう処理すべきなのか。それらの取捨選択が絶対に必要です。

これは文章を書く上での最難関事項だと言って良いでしょう。
"好き"をセーブして自分の中でコントロールすることが如何に難しいかは、何かを(誰かを)好きになった自分や他人の行いを振り返ってみれば自明のはず。たくさんの黒歴史がフラッシュバックすることでしょう。

その"好き"を文章にして伝えるには、このコントロールが必須です。でないと、ただただ読みづらい文章になってしまい、本当に同じものが好きな人しか読んでくれません。もっと言えば誰も読んでくれないかもしれません。

僕も今までの執筆経歴を考えると、このコントロールが不十分で止まっていた時間が非常に長かったと思います。そしてそれは現在進行形で戦っている課題でもあります。油断をすると、すぐに自分の感情に飲まれた執筆をしてしまうものです。

感情のコントロールはどんな物事においても重要ですが、クリエイティブな世界においては取り分け重要になる部分です。

クリエイティビティとはすなわち熱意のことを指すと言っても過言ではありません。熱意なき創作が価値を持つことは極めて珍しいことで、特例中の特例でしょう。

しかし熱意が溢れすぎていても駄目。それを適切な形に仕立て直し、他人の心を熱くさせるものを生み出せてこそアウトプットする意味があります。

何かを褒めることは、それの原点にして終わりのない追求点でもあります。褒めること、それを他人に読んでもらえる文章にすることを常に意識していれば、文章力は確実に向上していきます。

より多くの人の心を動かす

「好きな物をどう褒めるか」
それを積極的に考えることは、確実に書ける文章の深みを増進させることでしょう。

知識をつけ、自分をコントロールし、構成を考え形にする。褒めることは、その一連の流れを最も的確に学べる題材で、最高のトレーニング術だと思います。

重ねて述べますが、褒めることは難しい割に実生活においては語る意義を持ちません。かかる労力のわりに得られるメリットが少なく、それ故に"スキル"足り得る部分です。

周りからは長文を書いてものを語れるだけでも「すごい」と言ってもらえるでしょうが、初対面の人や顔も知らぬ人など、より多くの人の心を動かせる書き手になりたいならば挑戦してみましょう。

続けてさえいれば、時間をかけた分あなたの望む結果は得られると思います。

メンタル編 おわりに

以上、文章力向上のためのトレーニング【メンタル編】をお届けしました。

これらは技術として文章力を向上させる内容ではありませんが、その技術を磨きたいとより強く思うための素地となるものです。

文章が上手くなりたい!文章力を鍛えたい!と思う人は多いと思いますが、それらは単発的な状況によってもたらされる感情です。それはそれで大事にしておき、その他に長期的な目標を設定できた方が、トレーニングには楽しく望めます。

この【メンタル編】はその長期目標の設定として使って頂ければ嬉しいです。

以下の本なども、メンタルを鍛える上では参考になりますよ。

後編はいよいよ読みやすい文章を書くための実践的な技術に移って参ります。「文章を書くことはできるが、何となく自分の文章は読みにくいと思う」という方は必見です!

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