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企業に「私は応援してます」の声を届けるべきではないか【ネット炎上】

投稿日:2020年2月17日 更新日:

 

現代インターネットでは、気に入らないものにクレームを付けて自分の思い通りにしようとする人達がよく目に留まる。

数多の主義思想が入り混じる世界では、一貫したものであればどのような内容でも一定の支持を集められるのが現実だ。いかに既存のものに否定的な言質であっても、寄り集まれば大きな力を持ってしまう。

人間、生きていれば気に入らないものの1つや2つは必ずあるもの。その不満や怒りを抱えながら生きているわけだが、それらは肯定的な感情よりも遥かに顕在化しやすい。負の感情は発散しなければならないからだ。

それを口に出し、発信するところまでは(周りに気を遣うべきではあるが)個人の裁量で行って構わないと思う。だが、その存在を否定してこの世から消そうとすることは、明らかに一線を越えている。

本来は個人の愚痴にすぎないような内容が、同じような考えを持つ人の目に留まり同調を受ける。そうやってネットで味方を増やして行った結果、あたかも自分達が多数派であるかのように錯覚する現象が発生するのだ。

否定感情に支持を集めてしまった人々は、気に入らないもの="悪"を撲滅するために正義感からクレームを入れ始める。これは暴走と形容して良い行為だが、正しいことをしていると思っている彼らが止まることはない。

むろん声を上げること全てが暴走ではないし、変えて行かなくてはならないことはある。その前提を持って、正義感から来る悪質な暴走の淘汰を考えて行かなければならない時代に入ったと僕は考えている。

その中で今回は「賛成派の声を届けること」の必要性を考えて行きたいと思う。

企業は業務妨害の収束を最優先する

第一に「企業(団体)は集中的なクレームに弱い」ということを意識しておかなければなるまい。

ネットでの炎上はHPの問合せフォームを犯すだけでなく、電話などの窓口等々もクレーム対応が必要になる。ネットで数万人に拡散された案件で実際に100人の人間が物理的に動けば、ほとんどの企業を十分にパンクさせられるだろう。

こうなると企業側としてはクレームを収束させるのが急務になる。それは「敗北を認めた」とか「クレームに屈した」とかではなく、純粋に通常業務遂行の邪魔だからだ。日本はそもそもクレームに弱いお国柄でもあるため「とりあえず言うことを聞いて黙らせたい」と考えに着地しがちだと思う。

このことからネット炎上によるクレーム対応は基本的に「謝罪」や「撤去」という方向性で即時行われることが多い。大企業ともなれば関連会社への影響やその後の取引への不安も懸念されるため、より手短に波風立てない選択をせざるを得ないだろう。

しかし当然ながらクレームを入れた方はそれで「勝った」と思うし、クレームを入れれば"消滅"させることができると勘違いする。企業側から火に油を注ぐようなことをするわけもなく、その問題はその時点で「解決した」と思われがちだ。

実際これらは急場を凌ぐための措置であり、別に彼らの排他的思想が認められたわけでもなければ評価されたわけでもない。ただただ「面倒臭いから」という理由で対応を余儀なくされただけのこと。結果と内情は必ずしもリンクしない。

とは言うものの「対応した」という結果さえあれば内情が関係ないのも事実で、企業側もその後「また面倒臭い目に遭うなら…」と消極的な態度にならざるを得なくなることもあるはずだ。そうなると、これまた"結果として"彼らの主張は認められたことになってしまう。

再三言うように、その中には実際に変えて行かなくてはならないものもあるだろう。少数派の意見は多数派にとって「面倒臭いもの」なのは当たり前で、多数派が世の全てでもない。

だが、現状はどう見積もっても「クレーム側が有利な世の中になっている」と言わざるを得ない。

そしてそれを打開するためには「賛成派の声を届けること」が必要不可欠に違いないのだ。

思想封殺と戦っていくために

ネットのクレーム炎上問題は賛否が大きく分かれるものも多く、クレーム側が別の側面から見れば叩かれている…ということも日常的に起こっている。

これらはネット上で可視化こそされるが、実数は全く分からないという問題がある。「応援しています負けないでください」などのメッセージを直接企業側に届ける人はほとんどいないだろうし、多くの人がクレームに苦言を呈すないし思うだけ思って発信しないなどの軽い対応で終わらせている。そしてそれを続けている限り、先方に肯定意見の存在が届くことはほとんどない。

それが悪いわけではなくむしろ普通だと思うし、そもそもそれを個人で届けること自体が先方の物理的負担を増やしかねない行いだ。状況によっては逆効果になってしまう可能性さえある。相手のことを考えれば動かない方が無難な対応なものの、それでは一向に肯定意見の存在を知らせることはできない。

それだと企業側の認識も「ネットには肯定意見が存在していることも把握しているが…」から動くことはない。それよりも直接届く悪意あるクレームの方が、よっぽど苦痛で看過できないものなのだ。100の見えない肯定の防御力より、1の見える否定の攻撃力の方が、あらゆる意味で高いのが現実だ。

僕はこういった問題が起きるたび、基本的には黙する多数派の方が多いのが実情だと思っている。言葉として「ノイジーマイノリティ」「サイレントマジョリティ」というものが存在しているのが、何よりの証拠だろう。

しかしながら、本当にそうかも分からない状態で「どうせそうに決まっている」とするのにも改善がない。確固たる形式を持って「クレームこそ忌むべきものである」と断定する資料が提示されない限りは、クレームと正面から戦うこともできない。

企業側もクレームが付いたものには付け焼刃の対応を繰り返し、そうでない部分ではしっかりと利用する。ほとぼりが冷めたらもう一度行う。そういったいたちごっこが続いているのが現在のインターネットだろう。

肯定派を動かせる有識者が必要

ネットの意見を見るに、クレーマーに辟易している人達が存在しているのは明らかで、彼らもまた声を上げることを望んでいると思う。適切な場さえあれば、自分達の肯定的なエネルギーを現場に送り届けたいと思っている人は少なくないはずだ。

クレームは相手を困らせれば成功なのでどんな手段でも取ることができるが、"応援"には相手の邪魔をしない節度と気遣いが必要となる。それを個人個人で考えて行動に移すのは大変難しいことだ。

ならば、それを行う仕事や活動があれば良いのではないか…と浅知恵ながら思っている。

そういった理不尽なクレームごと、ある種の思想封殺のような出来事は今後も継続的に発生するだろう。「クレームを言えば下げさせることができる」と言った実績は、もう十分すぎるほど積み上がっているからだ。

そのクレーマー集団に対抗するには「そうではない人達の存在を伝える仕組み」を整えるしかない。

現在でもネットを使った有志の署名活動は行えるが、まださほど一般的なものではない。発起人に相応の発信力や説得力、実績が無ければ参加しようとまで思わないことがほとんどだろう。

無名の市民だけでは成し遂げられないことも多い。だからこそ肯定派の意見をまとめて企業に届ける仕事とか活動があって良いと思うし、それを十全に行える有識者やインフルエンサーが登場しても良い頃合いだ。

今あるクレーム騒動が本当にノイジーマイノリティによるものなのか、それとも実は彼らこそ多数派であると我々も認識しなければならないのか。全てはそこを明確に意識することから始まる。

単純な対応ではなく意義ある改善を求めて。
各々ができることから動いて行くことも必要だろう。

おわりに

肯定派の意見は確かに存在するのに、それは今の社会では"存在"以上の価値ではない。それは届けようとしなければ届かないものであるということを書いてきた。

こういった動きには懸念点もある。
肯定派と否定派の争いが激化すれば、より強烈なクレームを送る輩も現れるかもしれないし、結果的に論争が長引きかねない可能性も出てくる。肯定派の方が遥かに多い場合でも否定派に屈した場合に、署名した肯定派から野次が飛ぶようになるリスクもある(数が少なくとも対応せざるを得ないパターンもある)

逆に大人数の意見を1つに集めて送る署名活動的なものがより一般的になれば、個人的なクレームよりも団体行動の方が効果を得られると派閥問わず認識することができ、理不尽に意見を送るような人間は減るかもしれない。良い想像も悪い想像も無限に馳せることができるだろう。

それぞれ功罪はあるが、どちらにせよ今のままクレーマーに殴られっ放しな世の中を続けるのも癪だと考える人は多いはずだ。そのためにまず動くこと、その意識を持つことは重要だと考える。

言い出したんだからお前がやれと言われたら返す言葉もないが、僕にはそういった活動ノウハウも実績も知名度もない。だからまずできることとして「そういうものがあったら良いのではないか」という提案、問題提起としてこの記事を執筆した。

実際は「それが価値ある活動として成立するのか…」から始まる議論だと思うが、一意見としてネットの海に放り投げておきたい。

いつかこういった声の1つ1つが積み重なって良い実を結ぶことを信じ、この記事を終わりにしようと思う。

建設的な解決が1つでも多い世の中になってほしい。そう願うばかりだ。

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