今回の相談回答は「作品考察のやり方について」ですね。
僕はこのブログ内で長文の作品感想シリーズを展開しているので、「どのような思考でその執筆を行っているのか」が気になる方もいらっしゃるでしょう。
頂いた質問に則す形で、その方法論や経験則を記して行こうと思います。よろしければお付き合いくださいませ。
はじめに
まず最初に、投稿者さんは「自分で考察に納得できない」と書かれているように、自分の考察の質に満足できないところまで達している=自分だけではどうにもならないと考えられているのだと思います。
自分に足りないものがあることを自覚するのは簡単なことではありません。それが誰かに命令されて勤しんでいることではないなら尚更のことです。そのレベルに至っているだけでも、十分に褒められるべきことだと言って良いでしょう!
そういう意味で、投稿者さんは「自分を高めるスタートラインは既に超えている」と解釈して記事を執筆して行きます。
この記事では過去に僕が経験したことや実践していることを細かく紹介して行きますが、もちろん全てを同時に実践し始めたわけではありません。内容から参考になりそうなものが見つかれば、1つずつ考慮に入れてもらえれば嬉しいと思います。
それでは解説して参りましょう。
人より多くのものに触れる努力
まず僕が今の考察能力を得るに至ったのか、その経緯を自分なりの解釈でお伝えしようかと思います。
初めにお伝えしたいのは「人は経験したこと・考えた経験があることでしか物事を解釈できない」ということです。
投稿者さんも「ある考え以上の考えが思い浮かばない」と書かれていますが、それは端的に言うと「まだ自分の中にないものを掴もうとしている」のかもしれません。
これは学校の勉強に置き換えて考えてみると分かりやすいです。例えば数学の問題を解いていて、自分がまだ習っていない公式を使わなければ解けない問題に直面したとします。
その問題に対してどれだけ頭を使っても、基本的には知識の壁に阻まれて正解に辿り着けないですよね。作品考察でも勉強と同様のことが起きると僕は思っています。
作品考察は感情や心に根ざした行動なので知識ベースの勉強とは厳密には異なりますが、やはり経験したことか考えが及ぶものの範囲でしか、人は「考察」できません。
人はある程度までは、生きているだけで思考を洗練して行くことができます。同じ"自分"であったとしても、数年前と今とでは全く違った価値観で動いている部分もあるはずです。子供の頃に見ていた作品を大人になってから見たら、全く感じ方が違ったりもするでしょう。
その中で抜きん出た思考力や読解力を身に付けたい場合は、他の人よりも意識して行動と努力を重ねなければなりません。ですから深い考察能力を身に付けるには、「それだけ多くのものに触れる」「深める努力をする」ことが大切です。
結果的に身に付いたもの
僕は昔から作品考察ばかりをしていた人間ではなく、単純に「物事を周りよりも深い目線で見たい」という欲求が強い人間でした。エンターテインメントの世界で生きて行きたかったこともあり、世間の出来事について凡庸な考えでいるべきではないと思っていたからです。
だから目に付いたものの世間への反応を見て、それ以上を穿った文章を書くことをほぼ毎日行っていたように思います。今このブログで書いたら炎上するような青いこともたくさん書きましたが、何かを書くたびに思考が少しずつ洗練されて行った気がします。
歳を取るに連れて興味の範囲も広がり、昔の自分が「到底理解できない」と思っていた趣味嗜好にも理解が及ぶようになりました。それによって見える世界が変わったり、逆に好きになれたものも少なくありません。
そして今はインターネットで自分と全く違った考えを簡単に収集できる(観察できる)ので、「なるほど、そういう人もいるのか」と常に思わせられる毎日です。その人が「何故そういう考えになったのか」などの背景を勝手に想像して自分を納得させたりもします。
総じて僕は、現実創作問わず「人の心や感情を見ているのが好きなタイプ」なのだと思います。それが人間の多面性読解を要求される、昨今のアニメコンテンツの一部の考察に適合しているのでしょう。
なので僕の考察能力は作品考察から得たものではなく、物事へ向き合う時の普段の意識によって"結果的に身に付いたものである"と自分では考えています。
自分には書けない感想や考察を見つける
僕が今の能力を身に付けた過程をお話ししたところで、その経験から特に作品考察に効果的であると思っている方法を書いて行こうと思います。
まず第一に「人の感想や考察を読むこと」です。
これは決して僕が自分の書いた記事を読んでほしいから言っているわけではありません!僕も初見感想執筆を行う作品以外は、ほぼTwitterなどで他の人の感想を漁りに行きます。
同じ作品を見ていても感じ取れるものは千差万別で、中には自分には思いつかなかったような素晴らしい解釈を書き殴っている人もいます。僕はそれを提供している側でもありますが、ネットの集合知と相対したら吹けば飛ぶような存在に過ぎません。考えもしなかった感想が山ほど出てきます。
1つの作品を楽しむ中で自分の発想をより高みへ向上させようと思うのなら、自分にない考えを他人から取り入れるしかありません。
だから人の感想を漁って頭に叩き込みます。それを繰り返していれば、自分でも気付かないうちに思考力は磨かれていくものです。
中には「いやそれはないだろう…」という感想が存在したり、見ていてイライラする文章を見つけてしまうこともあると思いますが、それらとの出会いもまた経験です。
自分にとってネガティブなものを見つけた場合、何故自分がそう思ったのかと向き合うことで1歩先に進めます。
さらにいつかはそれを理解してあげられる日が来るかもしれません。そうすればあなたは、「1つのものに対して2つの考え方ができる人」になります。
そして新たな作品と出会った時、それらの経験を包含した考察ができるようになっているはずです。
僕が初見感想で詳細に書き込むことができるのは、過去に手に入れたそれらの経験が活かされているからだと思います。自分にないものを自分から手に入れにいく。この意識の積み重ねが大事になるでしょう。
アニメ漫画は考察の難易度が高い文化
第二に、「アニメ漫画ではない文化圏の作品に触れること」が挙げられます。大変に時間と意志が必要にはなりますが、急がば回れ。自分を高めるという点では効率的です。
作品考察は主にアニメ文化を中心に大きく発展している文化ですが、正直なところ、僕はアニメ漫画ゲームなどで作品考察を突き詰めるのには凄まじい時間がかかると思っています。
そもそも、アニメなどは現実離れした表現を可能にするために生み出された方法論で、実在しない独自のキャラや設定が存在しているのが当たり前の文化です。その非現実性を好む趣向を持つ人たちが、アニメ文化に強く傾倒するのだと思います。
しかしこの非現実性とは多くの場合「パッと見で分かる」「深読みする必要のない」表現であることがほとんどで、ここで言う「考察」の範疇ではありません。"考えなくても感じられる"からこそアニメは面白いのです。時に「子供向け」と揶揄されるような部分こそ、アニメの持つ最大の長所であり唯一性に繋がっています。
ですがアニメ文化が幅広い年齢層から支持されるようになったことにより、作品にもそれ以上の深みが必要とされるようになりました。感情の交錯や関係性の構築など、大人だからこそ"考えられる"ような深みを持った作品が現代には多くあります。
それでもアニメその物の"感じられる"魅力を主に据えた作品の方が多く、"考えられる"魅力はどちらかと言えばサブ要素。もはや絶対に必要ではあるものの、その実、作品で語り切る必要がない要素でもあります。
だからアニメ文化はキャラ心情や感情を語り切らずに匂わせることで成立させているものが多く、それが転じて「考察」という形で一部の人々を熱狂させて止まないポイントになっているのです。
ぼかされているからこそ考察し甲斐があるのですが、だからこそ考察の難易度が高いのです。その意識を持ってみると良いでしょう。
考察のステップになる文化
アニメ漫画は考察の難易度が高いという意識を持ったら、さほど難易度が高くないものを考察すること=ステップを踏むことの大切さにも目が向くと思います。
もっと人間の感情や関係性を分かりやすく自分の中に取り入れることができる文化が、世の中にはたくさん存在しています。もし少しでも早く自分の考察能力を成長させたいと考えるのであれば、その他の文化に触れた方が確実でかつ堅実でしょう。
では僕が思う考察に必要な要素が込められた文化を、アニメ漫画との違いに着目しながら紹介して行きましょう。
TVドラマ・邦画
例えば映像文化であればTVの連続ドラマや邦画です。
これらは現実世界を扱う都合上「人間関係や心の動きで物語を創るしかない」ので、アニメのような色があまり見られません。
さらに物事を深く考えずに楽しむ人がメインターゲットなため「分かりやすい内容でなければならない」という制約もあり、アニメでは伏せられがちな部分が細分化されて表現されることが多いです。
自分と全く異なった考えを吸収するには打って付けだと思います。その分ハズレを引いた時の無駄感・詰まらなさがすごいので、世間的に名作と言われるものを選んで視聴するのをオススメします。
小説など
小説でも良いでしょう。
現実世界が舞台の作品であれば感情や心のみで物語が創られていますし、地の文にて心情の加筆が可能な分、細やかな感情の機微がより分かりやすく頭に入ってきます。
大学にもそれらを専門に行う学科として文学部が存在しているなど、学術的な価値さえある行動です。実際に文系の大学で勉強していることの一部は、昨今のアニメ考察とかなりリンクしていると思います。
意識があれば、文学的方法論の本を読んで勉強するのも価値があるでしょう。僕も数冊読んだことがありますが、それだけでもやはりと言うか意外と言うか、視野が拡がります。
ニュース・ドキュメンタリー
一応ですが、現実にある問題やニュース・ドキュメンタリー、果てはゴシップやバラエティ番組から見える"多様な人間像"を考察の対象にするのも、「理解不能な考え」を咀嚼する題材としては有効です。
テレビやYoutubeでは自分が全く理解できないような感性や生き方をしている人がたくさん見られるので、それらが作品考察のヒントになることも少なくありません。
ただしこれらは見すぎると心が荒んでしまう可能性もありますし、「何を見てもある程度分析して許容できる」自信が持てないうちはほどほどが良いと思います。
僕は"人間"を見るのが好きなので、最近はよくこの分野で頭をこねらせています。結局は人を読み解きたいなら現実の人を見るべきなのかもしれないと、最近は思うことも多いです。
感情や心で創られたアニメ
趣向の関係で、上記したものに「どうしても食指が動かない…」ということも全然あると思います。
そういう時は、上記した文化圏に近しい側面を持つアニメや漫画に触れることで同様の効果を得られるでしょう。
どんな表現でも成立するのもアニメの長所の1つです。「これアニメ(漫画)でやる必要ある?」というようなドラマチックな作品もたくさん存在しています。それらを見続けることも十分に考察能力を向上させると思います。
無理して興味のないものに時間を使う必要はありません。苦痛を伴った勉強はなかなか身になりませんし、自分から行動しようと思えた時にこそ取り入れるべきです。
ただ現時点で興味が持てそうなものが1つでもあれば、そちらに重点的に時間を割いてみても良いかもしれません。それはきっと、「自分の好きなものをより楽しむための努力」となってくれるものでしょうから。
おわりに
長々と書いてきましたが、総じて言えるのは「今の自分にないものを取り入れる努力をする」ことではないかと思います。
実際僕は大学を卒業するまで、余暇はアニメとネットを見てゲームばかりしている凡庸な青年の1人でした。表現活動をしてはいましたが、作品の読解という点では本当に狭い世界で生きていたと思います。
僕は社会に出ようが結婚しようが、エンタメを仕事にする意志を持ち続けていくと意地汚く思っていますし、それは今でも続いています。その意志があったからこそ、様々な分野を分析して取り入れることに情熱を燃やせているのだと思います。
多くの人は僕のような気持ちで作品と向き合っているわけではないと思いますが、熱意その物はどこからでも湧いてくるものです。好きな作品や好きなキャラをより深く理解したいでも、行動の原動力には繋がります。その気持ちで僕以上に燃えられる人も大勢いるはずです。
投稿者さんも、是非ともできることから始めてみてください。それらを少しずつ発展させれば、今の自分を乗り越えて行くことが必ずできます。新しいことを始めなくても、日々の意識1つから努力が始められるのが頭を使うジャンルの良いところですからね。
それでは今回はこの辺りで。
この記事では心構えだけではなく、明確な方法論も回答してみました。何か1つでもお役に立ちましたら幸いです。また違う記事でお会い致しましょう。
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