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「女性専用の街」は何故炎上したか 男性視点で真剣に考察

投稿日:2018年1月29日 更新日:

 

とある方の「女性専用の街があれば、外に自由に出歩けるのになぁ」という旨のツイートから波紋を呼び続けているこの話題。話が二進も三進も止まらなくなり、最早何の話だったっけとなりつつある気はしますが…。

僕も1人の男として色々思うところはあり、ツイッターで話題にしたりもしたのです。「実際に実現できるのか?」とか「ちょっとやってみても面白いんじゃない?」なども呟きました。生き方が多様化する現代、そういう突飛な概念が1つや2つあっても良いとは思ったからです。

今回の記事はその中で最も気になったこと――というより、最も「新しい考えを得られた部分」に着目して、軽く執筆しようかと思い書き始めました。

取り分け僕が気になったのが「これ、炎上するほどのことか?」と言っている方々の存在です。

「まぁいつも通り人を選ぶ話題だからなぁ」などと最初は悠長に構えていたのですが、関連のツイートなどを眺めているうちに、これはいつもに増して根本的な問題なのでは?と思い至った次第です。

僕が新しい知見を得るに当たった経緯と理由を記して行きます。男性による性差語りということで嫌う方は多いのではと思います。読まれる方は寛大な心を持って、よろしければお付き合い下さいませ。

擁護はと否定派の感覚の溝

一部の女性による過剰な男性叩きを忌避する男性は多く、今回もその例に漏れていない、というのが表面的な事情。

ですが今回取り分け大きく物議を醸している背景には、普段よりも発言擁護側に立ち、嘆いている人が多いというものがあると思います。いわゆる自称フェミニストではない一般女性なども、幅広く難色を呈している節がありました。

その中で「こんなぼやきのような呟きも認められないのか」という旨のツイートをよく見かけました。

そう、多くの女性からしてみれば「女性専用の街」発言は、軽いぼやき程度と処理されるべき内容であり、それを重く受け止めて騒動化すること自体が既におかしいと思われているのです。

白状しておきますと、僕も最初見た時は「またこの手のやつか」と思った側です。議論の余地があると思いましたし、思考テーマとして優れているとも思いました。

なので「ぼやき」という擁護を目にした時はそれなりに驚いてしまい、発言の真意を見直しに行ったほど。ちなみに何故こんな弁明を先に書いているかというと、過去に記事執筆前の見識が浅い時期のツイートを漁られて晒されて「書いてある記事と違う」と叩かれたことがあるからです。ネットは恐ろしいところです。

こういった自分の経験から「女性専用の街」を擁護している方々と、快く思っていない人々(多くは男性)との間に大きな感覚の溝があると感じました。この溝の中身を少し紐解いて行きたいと思ってこれを書いています。

男性にとっては非日常 女性にとっては日常

そもそも「女性専用の街」発言の本質は、一部の男性によって行われる性的嫌がらせや犯罪の可能性が全くない世界に住みたいという欲望であり願いであり妄想です。

「ほんの数%もないような確率で被害者になるかもしれないリスクを回避するために、日常生活を自分で意識して変えていかなくてはならない。面倒だし大変だ。でも何かあっても誰も助けてくれないからやらざるを得ない。それを一切気にしないで生活できる空間があったらどんなに素晴らしいことだろう」という想いだったかと思います。

殆どの女性は一度以上は何かしらの性的嫌がらせを受けていると言われています。こういう被害は0か1という区分けであることが最も重要で、1度でも経験があれば忘れることができないタイプの問題です。なので、多かれ少なかれ女性の多くは「女性専用の街」が示す理想に理解を示すことができるのではないかと思いました。

ですが実際のところ男性の多くが性犯罪に関わっているかというとそうではありません。多くの男性は善良な市民であり、性犯罪とは無縁です。

このため度々目にかかる男性叩き発言は、善良な市民にとっては「言われなき中傷」と映ってしまうのが現実です(※そんなことはない!無自覚に皆セクハラをしている!と言いたげな人達もいるかもしれませんが、この記事はそういう話ではありませんので悪しからず)

結果として「こいつは"一部の迷惑な事件"をもって男性全体を叩こうとしている」と判断してしまいがち。しかし女性にとっては"極ありふれた犯罪事件"という認識。

その前提での生活を強いられているのだから、互いが攻撃的になってしまうのもおかしくないわけです。

男性にとっては非日常。女性にとっては日常。

この認識の乖離が、全ての原点となる問題でしょう。

皆が共通の認識を持つこと

男性と女性の間にある認識の齟齬は、更なるすれ違いを生みます。

一部男性はその「非日常」をもって、女性だけが特別待遇を受ける、またそういった待遇を要求するということを「都合が良すぎるのではないか」と感じてしまうのです。もっと言えばネットにはそういう人が多いです。

その最たる例が定期的に議論が勃発する女性専用車両問題だと思って良いでしょう。冤罪被害があるのだから女性だけが苦労しているわけではない云々というアレですね。

こういった過去に積み重ねられてきた議論のツケにより「女性専用」=「不当な厚遇を受けること」というニュアンスを含めてしまっている人が少なからず存在します。

ツイート主も女性専用車両のイメージで「女性専用の街」という言い回しを使ったのだと想像していますが、これが今回の件における最大の悪手であったということです。「過剰な男性叩きに強いネガティブイメージを持っている人達」を寄せ付ける言葉選びとなってしまったのでしょう。

恐らく「女性だけが暮らせる街」などの表現であれば、ここまで悪意を向けられる結果にはならなかったと僕は思います。今や「女性専用」という言い回しには「男性から逃げたい」よりも「男性に消えてほしい」というニュアンスを強く醸してしまう危険性がある。その言葉を使った文章が攻撃的なものであれば尚更のことだと思います。

しかし上の文章を見て「なんだ言葉の表現まで私達に意識しろと言うのかふざけるな」と思った人がいても全然おかしくないと思います。言われると正直困りはしますが、おかしくはないのです。

さらにここから、こう続ける人もいます。「それを言わせる状況にまで追い込んでいることが問題と思わないのか」と。

そうです。問題なのでしょう。被害者側が我慢を強いられて丸く収まっていることを、本当の意味で解決したとは言いません。もっと本質的な問題と向き合う必要があるはずです。

しかしまだまだ袋小路は続きます。
その"問題"とは、具体的に何を指しているのでしょう?人によって想像するものは恐らく違うのではないでしょうか。

全く違う価値観の人たちが集まって1つのものを共有することは難しく、現状こういった男女問題では立場や環境によって全く違ったものを持つと言えます。

言うなれば、それが明確でないことこそが"問題"でしょう。

ですからまずこれらをまとめ上げ、議論の土台を作り出すことが、解決への第一歩へと繋がるはずです。

認識を改めると口で言うのは簡単ですが、改めるべき認識がどこにあるのかは不確か。それが今の状況です。それを男女問わず考えて行くことが必要な時代になっているのだなと思ったのでした。

まとめ

僕は基本的に、ネットに生息する自称フェミニストのことはあまり好きではありません。そういうことを隠す気はないです。

しかし「女性専用の街」については考えを改めるべきだと思わされました。そういう「男性叩き」とか「男性差別的な発言である」などの、一辺倒な話で片付けてしまってはいけない問題だと思ったのです。

女性は常に周りに気を付けて生活することが望ましいとされていますし、やはりそういう危険があることを男性でわる我々でさえ意識します。

身の回りの女性に「一人で夜道を歩くのは危ないんじゃないか」とついつい言ってしまったりするわけです。向こうからすればそれも余計なお世話かもしれません。

理想を言えば、そんなこと誰もが気にしない世界が良い。このような願い自体は真っ当なものです。

そしてそこから「女性だけの空間」を求めるのも、決して不自然なことではなかった。今回の件に触れるに当たって、そう思い直すことはできました。

リスクの低い立場である男性の僕がこんなことを言うこと自体お門違いかもしれませんが、1つの社会問題に対して自分の意見を発信することも1つの自由意思ということでお許し頂けると幸いです。

理想の違いが争いを生む世の中です。それでも、少しでも違う立場の人達の考えが近づいたら良いのかなとは思います。自分の価値観の範囲で決め付けずに、色んな意見を見て新しく考えて行ける人間でありたいですね。

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