2016年6月アナウンサー小林麻央さんの乳がんが取り沙汰されました。それにより病気の公表を余儀なくされ、夫である市川海老蔵さんの会見を開く事態に発展。
痛烈な内容の裏側でやはり問題になったのがマスコミの対応です。海老蔵さんが「取材を遠慮してほしい」という旨の発言を繰り返しているところからも、ご本人やご家族にとって決して無視できない問題であることが窺えます。
会見の開かれる前にも既に自宅をアポなしで訪問し、ご本人にストレスを与えるような取材を行った記者もいたようです。
過剰な取材。執拗な報道。
問題視している方、嫌悪感を覚える方も多いでしょう。
何故このようなことが起きるのか、今回はこれを受けた意見を僕なりに書いていこうと思います。
マスコミの取材が何故行われるのか。そして我々にそれを阻止することは本当にできないのか。辛辣な表現も多いかもしれませんが、よろしければお付き合い下さい。
報道が商売であることを理解する
まず大原則です。
マスコミは企業です。そして報道は商売です。
商売である以上利益を追求する必要があり、時には人道的ではない選択を迫られることもあります。そして、商売には競合が無数に存在しているもの。マスコミとて例外ではないのです。どこよりも早く、誰よりも早く、有益な情報を手に入れることを求めている。
そうです。求めているのは「有益な情報」です。
有益、それは一体どういうものなのか。綺麗な言葉で言えば「より多くの人の興味を惹く内容」でしょう。見も蓋もない言い方をすれば情報は「金の成る木」ですよね。
最終的にお金に結び付くもの。これが絶対条件。彼らはいわば「芸能人の形をしたお金」に群がる人間達です。
実際「そっとしておいてやれ」と9割の人が思っても、1割が求めていればその情報は利益には繋がります。そしてその情報を得ていないメディアには、1割の利益を奪い合う権利がない。
困ることでしょう。何故なら、情報というのは単一で完結しているものではないからです。
情報は自分が最も知りたい話が載っている媒体から、その他雑多なものも一緒に得る。それが普通です。この記事を読んでいる方にも、他のついでで辿り着いた方もいるのではないでしょうか?
ニュース番組を見るのにわざわざ1つのニュースごとにチャンネルを変えることはないですし、新聞だって複数取ることは稀、雑誌やネットメディアもご贔屓にしているところくらいあるでしょう。
すると「今最もホットなニュース」を提供しないメディアは、トレンド戦線から強制離脱。その期間に見てもらえる可能性がグッと低くなります。結果的に大損害を被ることになる。
だから取材に行かざるを得ない。それが他人の不幸であっても、自分達の懐事情を潤すならそれが一番良い。
馬鹿げた話ですが、誰だって自分と身の周りが一番可愛い。競合が多すぎる故に皆が同じことをせざるを得ない。金儲けの悲しい性です。
「報道しないメリット」がない
例えば、我々大衆が思う「人としての良心」を持つメディアが取材を本当に自粛したとします。素晴らしいことです。是非その英断を尊重したい。今回も中にはそういったメディアがあるのかもしれません。
でもそれを知る手段が我々にはない。ないんです。「報道しないこと」を報道することはできないからです。
それを伝えるために「我々は今回の件について取材を自粛します」とマスコミが発表したとしましょう。今の日本だと「あたりめーだ馬鹿。アピールすんな」というクレームが恐らく行くのではないですか?
するとマスコミも結局クレームを貰うなら、やることやっといた方が利益がある分マシ。そう思えてしまうことでしょう。
極論1社を除いて全てのメディアが自粛したとしても、1社が取材を敢行しニュースとして大々的に掲げたら、その利益が独占されてしまう。その上、我々大衆には「マスコミは~~」と一括りに言われてしまうかも…。
自粛したって商売チャンスを逃すだけで、誰も知らない見向きもしない。商売敵に良い思いをさせるだけ。自粛する意味→自己満足。
そう結論付けられるのは想像に難くありません。
完全にクリーンな取材と報道を心掛けることで一定の人気を勝ち取ることはできるかもしれません。でもそのイメージが浸透するのには早くても半年以上、長ければ数年はかかります。
新規立ち上げのメディアなんかは恐らく浸透せず、人知れず潰れるでしょう。そんな先行きが不透明すぎることをやりたいと思うのかという話です。自分の生活も社員の生活もかかっていますから。
マスコミは、最も手堅く利益を得るための選択をしているのです。
現状の日本で取材をやめる選択をする理由はないのでしょう。
マスコミの在り方を変えるのは我々である
ここまでに書いたお話はマスコミの異常行動を支える根源的理由です。彼ら自身にそれを変えることは最早できないはずです。ゴシップが彼らの懐を支える1大コンテンツである以上、過剰な取材がなくなることはないでしょう。
では誰がそれを変えることができるのかと言われれば、それは我々大衆でしかないのです。
この状況を改善するには、マスコミに
「そこには金がない」ことを教える。
「それより金になるもの」を提示する。
この2つを行うしかありません。それができるのは受信者である我々だけ。
インターネットの発展によって、マスコミのやり方に非難が集まる機会も増えています。このまま続けることが果たして正しいのかどうか。その問題意識は業界内にもわずかにはあるでしょう。
実際テレビ離れやラジオ離れは年々加速し、ゴシップ記事を扱う週刊誌の多くが売上げを落とし、場合によっては廃刊に追い込まれています。これが「そこには金がない」ことが少しずつ浸透している事例だとすれば、我々が非難の声を上げることも、状況改善を促していると言えるのかもしれません。
ただネットメディアなんかはマスコミの対応その物を「報道」しお金を稼いでいる側面もあるので、その他メディアへのネガティブキャンペーンが行えなくなった時に新たな問題が浮上する可能性もあります。
まとめ
なので、本当の意味で状況を改善するには「それより金になるもの」の提示が必須。我々はもっと「他に報道すべきものがある」と、マスコミに思わせなければなりません。
他人の不幸なんかよりも、もっと価値のあるものがあるとメディアに教えられるのは我々大衆だけです。自己犠牲や不幸をお涙頂戴の美談にするのはフィクションの世界だけでいい。そう思う人は多いはず。
現実にはもっと知りたい話題があると声を上げなければならない。マスコミを非難すること自体は決して悪いことではないと思います。悪いものは悪いと言っていい。でもそれだけに終始していたら、結局自分達も同じ土俵上の存在にすぎません。1度そこから降りて、新しい文化。新しい価値観を見つけませんか。
それが転じて、苦しんでいる人達を救う一途になるかもしれませんから。
我々にできることはそれくらいしかありませんが、それでしかマスコミを変えることはできません。
声を、声を上げていきましょう。きっとそれはいつの日か実を結ぶはずですから。