オタク文化というのは本来「どれくらい好きか」という熱量で語るものだったのにいつしか「どれくらい知っているか」という知識量のカードバトルみたいになってしまい、昨今では「どれくらい金を使ったか」という物量でマウントを取る世界になってしまった、ここにはもう人は住めない、僕は森に帰るよ…
— のりお (@norio_hangover) 2018年3月23日
オタクやマニアというものには勉強やスポーツのような定まった指標がありません。何を持って偉い、凄いとするかの価値基準は人によってかなり異なります。結果として「○○する奴が偉いってことかよ?」などのすれ違いは常に起こり続けるものと認識しなければなりません。
しかしながら、自分の得意なジャンルで人より優位に立ちたいというのは当然の欲求だと言えます。何かをもって優位性を主張したがる人がいるのは仕方がありませんし、自分とてその例外と言い切れる人はあまりないでしょう。
それでも、極力この手のいざこざは少ない方がありがたい。これもまた多くの人にとって正直な感情だと思われます。理想論ですが、皆仲良くできればそれが一番です。それを少しでも現実に近付けるために、このマウンティングというものの本質を紐解く必要があると思い、今回キーボードを叩いております。
過激な言葉もあるかもしれませんが、最後には理解できるような内容になるように努めて書き進めて行きます。よろしければお付き合い下さいませ。
1.文化の拡大に伴った嬉しい悲鳴
まず引用した上記のツイートの中に書かれている、流れについてです。好きを語っているはずが知識のぶつけ合いになり、今ではお金のぶつけ合いになっているというお話。
これはオタク文化を楽しむ人口が増加したこと及びコンテンツを楽しむ幅が拡がったことにより齎された、回避しようがない状況であると考えています。
前述した通り、オタクやマニアには優劣をつける明確な指標がありません。そもそも優劣をつけるべきではないですが、それを完全に無くすことはどうしても無理なこと。それと向き合うことこそが意味のあることだと考えましょう。
ですから、自分の"好き"どれだけ大きいかを語り、見せ合い、認め合う。媒体や方法は問わず、愛の大きさを表現することが大事。そこに貴賎はない。というのが理想的な形です。
これは限られた人間によって作られる狭いコミュニティであれば、ある程度までは実現可能なだと思います。準メジャー級の作品には、ファン全体が一丸となってほんわかした空気を生み出しているものも少なくありません。強く深いファンが多い作品ほど、居心地も良い印象があります。
これに当てはめて考えると、昔はオタクという人々全てがマイノリティで、閉じた世界の住人でした。オタク界隈自体が準メジャー級で、結びつきの強いものだったのです。
今はアニメオタクを中心に開けた土壌に変わって行った結果(アンダーグラウンド感はあるとは言え)巨大なコミュニティを形成するレベルに至っています。
そして人が増えるとどうしても価値観のすれ違いからいざこざが生まれやすくなってしまうもの。それが起きる度に、その時々でいさかいを収める価値基準がどうしても求められてしまいます。
最初はそれが「知識」でした。
どれだけ沢山調べ、勉強し、その作品のために「時間を割いているか」というのが大きなポイントとなり、「より"優れたオタク"は知識を持っているもの」が、致し方ない指標として市民権を得ていました。
最近はそれが「お金」に変わっています。
これは種類が増え続けるグッズをコンプリートしたり、同じCDを何枚も買ったり、ソシャゲに課金したりと、お金を無限に使える先が充実したことが大きな要因かと思っています。
これはどうしようもない流れだと考えています。知識を蓄えるよりお金を使う方が楽(お金を稼ぐのは大変ですが)ですから、空いた時間で大量に金を注ぎ込んで最強になれる人がドヤり始めるのは当然と言えるからです。
しかしそれは人が増え、コンテンツが充実し、やれることが増えた証でもあります。
何故なら、今のこの資本主義社会においては、最終的に全ての価値観の違いを収めるツールとして「お金」という概念が存在しているからです。つまりお金で解決しなければならなくなったこと自体が、その文化が社会的な規模を持つようになったということの裏返しでもあると思うのです。
それだけオタク文化が潤い、世間に認められつつある文化になったということでもある。悲しい状態ではありますが、嬉しい話の延長にあるのがこのマウンティング問題なのだと思います。
2.頑張ったアピールはマウンティングではない
ここからが本題です。
マウンティングという言葉はそもそも、自分が上に立っていると主張する行為を揶揄して使われる言葉です。「俺はこんなに課金したからお前らより偉いんだぜ!」とストレートに煽りに言ってしまう人は、そもそもコミュニケーション能力に問題を抱えていらっしゃる方だと思うので、一旦割愛させて頂きます。こういう人が減ると良いですね。
今回問題にするのは例えば、
「10万課金してこいつを最強にした!めっちゃ愛を注いでる!」などの自己完結した発言をマウンティングと捉えてしまう方々の存在についてです。
これは頑張ったアピールではありますが、マウントを取ろうとして発信している人ばかりではないはずです。
その人が滅茶苦茶にそのゲームとキャラが好きで、10万かけてでも最強にしたいと思ったことは、別に誰かのために行ったことではありません。ただ、頑張った成果とかけた金額は皆に知ってほしい!それくらい好きなんだ!とその人はアピールしたいだけです。
もちろん言い方が悪いなどの理由もあり、反感を買ってしまう人は沢山いると思います。アピールすることはそのように捉えられかねないことでもあると思います。
しかし原則として、見てほしいという気持ちと、見せつけたいという欲求は違うものだと考えるべきでしょう。
本来であれば、それを「凄い!良かったですね!おめでとうございます!」と認めて、褒め合って、高め合うことが、原初のオタク達が楽しくやっていた頃の感情に繋がっていくはずです。
それについて否定的に見てしまう人が多くなっているのだとしたら、それは凄く悲しいことではないかなと感じます。
3.愛の小さい人ほど他人に難癖を付けたがる
ここで1つ実体験のお話を。
僕はいわゆる愛の重いオタクです。
このブログでも特定のアーティストや作品についての記事を書き、バズらせた経験があります。
『進撃の軌跡』をまだ聴いていない『進撃』ファンへ。14,000字ロングレビュー
『キンプリSSS』全話感想まとめ 総計14万文字に及ぶ煌めきの文章化!世界は輝いているんだ!
キンプリオタクの『あんスタ』ミリしら感想 全話まとめ 総計20万文字以上!アニメから始まる可能性の光
はっきり言ってお金をかけたレベルで言えば、僕自身は物凄いファンではないかと思います。しかし、そうでないところで愛を表現したいと思い、一生懸命文章にしたためて周りにそのアピールをしています。
結果、書いたものについて「愛に溢れてる」などの感想を頂くことも多く、本当に嬉しい限りです(過去の栄光を書いていることも「マウンティングですか?」と言われたりしたらやって行けませんが)
なので、僕は他人がここで言うマウンティングを取るようなことをしていても「すげぇな」と思ってしまうことの方が多く、あまり気にしたことがありません。好きなものには、自分なりに愛を貫いている自信があるからです。
他人がしていることに「お金をかけた方が偉いってこと?」「長く楽しんでる方が偉いってこと?」などの感情を抱いてしまう場合、言い辛いことですが、恐らくあなたは劣等感を覚えた時点でその人に「愛の大きさ」で負けています。無意識のうちに他人と自分を比較して、敗北感を味わってしまっているのです。
それを「あいつはマウンティングを取ってくる。愛の大きさってそういうものじゃない」などと言っているのも、褒められたことではないと思います。別にそれに負けないくらいストレートに愛を向けていれば、そのような感情に気を取られることはありません。
これは受け取り方の方に大きな問題がある事例だと思います。
確かに、頭のおかしい煽りをする人はいます。煽られることもあれば煽り返すこともあるかもしれません。
でも気に入らないものを全てまとめて否定し、他人の努力やかけた情熱に鬱屈した感情をぶつけてしまったら、それはもう愛とは言えないでしょう。自分の小さな愛が押し潰されないように、他人を貶めようとしているだけですから。
それはとても醜く、浅ましいことです。その他人を貶める時間を使って自分の愛をより大きく表現する方法を磨いていけば、こういったマウンティング問題はここまで大きないざこざに発展することはないでしょう。
一朝一夕で何とかできることではありませんが、続けていればできるようになります。僕もバズるような文章を書けるようになるまで、10年くらいかかっています。極めて鈍足です。今は何とか自分の愛の大きさを等身大表現できる技術を得ているので、心穏やかに色んな物を自分のペースで楽しむことができています。
鬱屈した感情を持つことは悪いとは言いません。むしろろ敗北感を味わうことは大切なことです。それは大きなステップアップへの鍵になります。
他人の行動に難癖を付けたくなるくらいあなたがその作品を愛しているのなら、その気持ちを是非表現や追っかけに使っていきましょう。それを認めてくれる人は必ず周りに増えていくと思いますよ。
まとめ
以上、オタクのマウンティング問題への所感です。
他にも思うところはありますが、今回は受け手側の認識の問題を重点的に語らせてもらいました。
誤解なきよう再三言いますが、本当にマウンティングを取っている人はいます。そういう人には単純にそういうことをやめてもらいたいとも思っています。それがなければ、こういうすれ違い自体減るわけですからね。
でも実際は言葉で片付けられるほどに簡単な話ではない。こういった状況に鬱屈した感情を必要以上に爆発させる人も沢山いるものと思います。
元々オタク文化というのは、色んな観点から鬱屈した何かを持っている人がハマりやすいものですから、そういうことを執拗に意識してしまう人間性の方も多いでしょう。
そんなものに引きずられてしまうのは、あまりにも悲惨な状況です。厳しめな意見も書きましたが、この記事が1人でも多くの人の気持ちを前向きにさせられるものになっていたら良いなと思います。
好きな作品は好きなように楽しむ!そこに貴賎はない!その気持ちを大切にして行けたら良いと思います。
今回はこの辺りで失礼致します。それでは。
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