「次郎」と「二郎」
この2つの漢字の使い分けに意味があるか考えたことはありますか?
多くの人が「そういうもの」としか思わない部分だったりすると思います。実際、僕も全く気にしたことがありません。
違いがあるとすればどういった経緯があるのか。そもそも数字がつく名前は何故使われるようになったのか。
考えてみると気になることは多いもの。
今では忘れ去られた歴史的な背景も関わる面白い問題です。今回はこちらについて紹介して参ります。
「太郎」や「次郎」という名前は武士が使った
「太郎」や「次郎」という名前が使われるようになった時代を探り歴史を遡ると、なんと平安時代にまで巻き戻ります!取り分けポピュラーに利用したのが武士の人々でした。
歴史の授業などを思い出してみてください。有名な武将さん達には、旧名がたくさんあることが多いですよね。当時の武将はキャリアをつけてから真の名前を授かるものであり、生まれたばかりの名前は最終的に無きものになっていくのが通例でした。
そのため、まず最初に与える便宜上の呼び名として太郎や次郎といいった数字を使った名前を用いることになっていたそうです。
これは何番目に生まれた子供であるかを分かりやすくすることに加え、跡取りが誰であるかなどを明確に外の人達に示す意味も持っていたんだとか。昔は子だくさん文化で10人以上いるということもザラにあったため、こういう分かりやすい形を取ることが広まったんですね。
「次郎」は2人目の子 「二郎」は12人目の子
では、そのルーツが分かったところでいよいよ本題。「次郎」と「二郎」の違いについてです。
これは実はすごく分かりやすく、「次郎」が2番目で「二郎」が12番目というだけのことでした。12人も子供がいるなんて今ではなかなか考えられないですが、当時は20人以上というのも決して珍しくないことだったのです。すごい時代ですね。
ちなみに1番目は「太郎」で2番目が「次郎」です。太郎が跡取りで次郎が『その次』という意味を込められていたんだそう。
ですがこの例に倣うなら、11番目は「十一郎」で12番目は「十二郎」になるはず…。どうして「十」を取って分かり辛くしてしまったのでしょう?
実はこれには「十」という字をどうしても利用したくなかった理由があったのです。
「十」という字が切腹の傷跡に見える
それは武士ならではの理由。
フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリという外国人の考える日本のテンプレートにも用いられるハラキリ=切腹です。当時はケジメの付け方、誇りの残し方として一般的な自害行為でした。
腹を切る際に十字に切り傷を入れていたことから「"十"という字は演技が悪い」と考えられており、人名につけるのはタブーとされていたようです。
今でもそういう縁起の悪い漢字を使わないという考え方はありますよね。いくら将来的には使われなくなる名前とは言え、人名に懸ける思いの深さは今も昔も変わらないということなのかもしれません。
そのため、10番目以降の子供からは頭の十を取りつつ、他の子達と被らないように「一郎」「二郎」と名付けたとのこと。
13番目以降の子供は漢字による差別化が難しくなるため、頭に「又」や「与」と言った「再び」という意味を持つ漢字を加え、「又三郎」「与四郎」という名前をつけたそうです。どんどん雑になりますね…。
11番目12番目に関しても同様に「与一郎」「又二郎」などにするパターンもあったそうで、厳密なルールというより、名前を付ける時の1つの方法論くらいの認識ではあったようです。
れに関連したもう1つの変わり種を、次の項で紹介します。
「七」という字を避けるための「三四郎」
名付けの際に「七」という字も縁起が悪いという方がいたそうです。
それは彼らが「七」という字について「十」から線が一本飛び出しているという見方をしていたから。
ここから、切腹後に腹から内臓が飛び出している絵になるので尚のこと良くないという考えに繋がって行ったのです。
想像力が豊かすぎますね。
現代でも同様のこじつけに頭を悩まされる例は少なくありません。
これを回避するために生まれたのが「三四郎」という名前。最近は同名の芸人さんもおり、耳馴染みが良いのではないでしょうか?
こちらは本当に気にする人だけが気にするという文化であったよう。あくまで自分の家の名付けなので、納得できる付け方をするということのようですね。
まとめ
「太郎」は1人目。「一郎」は11人目。
「次郎」は2人目。「二郎」は12人目。
頭から「十」を取る理由は、その形が切腹の傷跡に見えるからでした。
簡単な名前にも奥ゆかしさがにじむ日本らしい理由でしたね。
時代が進み10人以上子供を産む家が減って行くのに伴い、1番目の子供に「一郎」2番目の子供に「二郎」と付ける家も増えて行きます。その流れもあり、現代で1番目の子供に「一郎」と名付けるのは全然問題がないようですのでご安心頂ければと思います。
日本ではこういった「同じ意味を持つ違う漢字」などがたくさんあることによる使い分けが他にもたくさんあると思います。しかしそのほとんどを我々が気にすることはありません。
この執筆を機に目を向けて行けたらなぁと思います。皆様にとってもこの記事がそのキッカケの1つになりましたら幸いです。それでは。