生活の知恵

「掃除は家事ではなく娯楽」と考えると2人での生活は楽になる

投稿日:2019年12月3日 更新日:

掃除は娯楽!!

夫婦生活を初めて1年半。
同棲期間含めると2年以上になる筆者です。

「2人で暮らす」ということは、実家にいた頃や(僅かな)一人暮らしとはもちろん全く勝手が違います。良いこともあれば、大変なこともあります。

そんな中で僕らが生活を1ランク楽にできた考え方

掃除は家事ではなく娯楽

というものがあります。

この記事では、結婚生活における掃除の理想的な考え方を提示して行きたいと思います。よろしければお付き合い下さい。

嫌いな掃除を放棄する選択

まず前提として、僕たち夫婦は掃除や片付けがお互い好きではありません。どちらも「できればやりたくないし、多少の汚れはさほど気にしない」タイプです。

ですから今は掃除は気が向いた時にやる程度。
お互い優先度を落とし、無理をしてまでやることは無くなりました。

結果だけ見れば「お前のところが変なだけだ」で終わらせられても仕方がないのですが、そう最初からこの意識の共有が上手くできなかったのが2人暮らしというもの。様々な経験を経て、この形に落ち着いたのです。

と言うのも、結婚したばかりの頃の嫁は、空いた時間に掃除をしっかりしようとしていました。2人で暮らし始めたら「しなければならない」と思っていたようです。人間ができている。

彼女は同棲生活スタート時、掃除をしたくてしているわけではなく、「本当は嫌だけど、家事はしっかりしないといけないから」という理由で自分を縛り付けてしまっていました。嫌々行動することを選んでいた形です。

それは大変ありがたく感謝もしていたのですが、僕の目から見ると明らかにしんどそう。「そんな思いをしてまで掃除なんかしなくて良い」と僕は思っていました。

方々から「お前がやれ」などのお叱りが聞こえてくるようです。それも分かります。でも僕だって掃除はしたくない。ですから、僕はそこであくまでも「やる」より「放棄する」方を選びました。

そもそも、僕ら2人はどちらも細やかな掃除が嫌いかつ、不要だ(気にならない)と感じているのは確かなのです。その2人が互いを縛り付け合って掃除を続けることの意義が、全く見出せませんでした。

それを嫁に伝えることはあっても「結局いつかは"やらなければ"ならない」という彼女の頭は簡単には変えられません。人間ができていますね。

それでも僕はめげません。そんな風に思い込んでしまっている彼女の心を変えて行きたい。そうしなければ、僕らはどちらかが不要なストレスを溜めながら日々の生活を送る羽目になる。

そうして考え抜いた僕が発した、嫁の心を一転させるに至った言葉が「掃除は家事ではなく娯楽」だったのです。

やらないと生活に支障が出るもの=家事

 

ここで、他の"家事"と比較して考えましょう。

まず料理。
料理は食に関わることなので、怠ると健康に差し障ります。自炊を行わないと出費もかさみますし、まともな生活を送るのならこれは絶対にやらざるを得ません。

続いて洗濯。
洗濯は行わなければ臭いますし、見た目にも影響します。周りの人にも迷惑をかける他、社会的信頼に関わる部分なので必須です。

ゴミ捨て。
掃除はせずとも料理&食事をすれば生ゴミは出ます。大きいゴミは普通に捨てます。それらの処理はせずにいると多大な問題が起きますし、最悪は近隣に迷惑がかかります。捨てましょう。

このように家事という言葉は「やらないと生活に支障が出るもの」を指して使われるものだと思われます。

では掃除はどうでしょう?
よくよく考えてみると、やらないと"何かが起こる"ということがありません。

大前提として、掃除はしなくても死なない。

もちろん、床をはいはいする赤ちゃんがいるご家庭だったり、ハウスダストアレルギーを持っている方などはその限りではありませんが、多くの人にとって床や家具に溜まるほこりや汚れなどは生活に害を及ぼさないのです。

実際に日常生活では「家の掃除する?」「部屋綺麗そうだよね」という他愛もない世間話のネタにされるくらいの存在で、つまり掃除は多くの人から「どちらでも良い」と思われているものであると言わざるを得ません。

どうしてもやらないと嫌だという人はすれば良いし、気にならない人は数日、数週間、数ヶ月まとめて一気に掃除したっていい。それは自由です。

綺麗好きな人ほど、ここまでの話を読むと「信じられない」と思うことでしょう。

そう思ってしまった綺麗好きな人にほど僕は「掃除は家事ではなく娯楽」という考えの本懐を知って頂きたいと思っています。

我慢は時限爆弾のようなもの

上述した通り、掃除の頻度とは個人の尺度によって自由に決めて良いものだと思います。やりたければやれば良いし、やりたくなければやらなければ良い。

ですが2人以上で暮らすとなるとそうは行きません。
円満な生活のためには、相手に合わせて自分の考えや生活のスタイルを変えて行くことも必要になってきます。

そういった状況に置かれた場合、掃除の頻度は基本的に「綺麗好きな方に合わせる」ことになると思います。

これについて僕は否定的ではありません。気にならない人は気にならないだけなのですが、綺麗好きな人にはその汚さがストレスになるわけですから当然です。

ですがここで意識してほしいのは、「汚くても気にならない人にとって、定期的な掃除は多大なストレスである」ということです。

綺麗好きな人の中には「掃除はして当たり前のもの」という認識があるパターンがあります。そういう人は掃除を強要している意識を持たず、パートナーに押し付けてしまう可能性があるのです。

何故なら掃除は家事であるから。
こなすべき日々の事柄。その範疇に含まれるものだから、やって当たり前。それを同じレベルでパートナーも共有すべきだと思う、という考えです。

これは悪意的に押し付けているわけではないと思います。そう生きてきた人にとっては自然な思考のはずです。でも、掃除をどうでもいいと思っている人にとっては、強制であり脅迫であると言っても過言ではありません。

やりたくないことをやらされる環境は、時としてやらざるを得ないを上回る苦痛に発展します。

相思相愛の時分は良いでしょう。パートナーの為を思ってその苦痛を良しとすることもできます。

しかしふとした時に感じた不満、何か大きな喧嘩をした時などに、そういった「我慢してやっていたこと」は負の感情とリンクし、取り返しのつかないような爆発を生むこともある。

綺麗好きな人がそうではない相手に同じレベルを求めるというのは、このようなリスクと常に隣り合わせです。言わば不要な時限爆弾を相手に抱えさせてしまっているようなもの。

果たして、そんな危うい夫婦関係を望む人がいるのでしょうか?

無意識の強制を避けること

以上を持って僕は「掃除は家事ではなく娯楽」と思うべきだと断言します。

日常生活で定期的な掃除を行うメリットは、綺麗な家が保たれること。掃除によって得られるプラスは「自分が気持ち良い」以外にありません。同居人が綺麗だろうが汚かろうが気にしないのであれば、余計に自己満足以上の何物でもありません。

自己満足の実現を他人に任せると言えば、一気に愚かな行為の色が強まってきます。

綺麗好きが悪いのではありません。綺麗好きを他人と無意識に共有しすぎることが危険だと言うのです。

やりたくない者はやらず、やりたい者が勝手にやる。やった者が気持ち良くなり、やりたくない者は頓着がない。

これが掃除の本来あるべき姿です。
そしてこれが実現した時、もうそれは娯楽と言って差し支えないでしょう。

たとえ「綺麗好きじゃなくても、綺麗な方が良いに決まってる」と言われれば確かにそうですと返します。けれど「その恩恵を共に得るのだから協力して当然だ」と続けられたら、それならやらなくて良いと僕は答えるでしょう。

もちろんやってくれたことには最大限の感謝をして、代わりにパートナーがやりたくないであろう家事や何かを代行することで良しとする。そういったやり取りが合理的であると考えます。

「ありがとう」を忘れない生活

これらの前提を共有した上で、互いが納得して掃除に臨むことが争いの少ない生活を生むことだと思います。

幾ら掃除が嫌いとは言え「楽しいから一緒にやらない?」と言われることに悪い気はしませんし、その時間を楽しむこともあるでしょう。相手が本当はやりたくないことだという気持ちを持って接すれば、逆である自分の気持ちを汲んでもらえるはずです。

そうすると、互いの心に「ありがとう」が芽生えると思いませんか?

結婚生活を円満に送る秘訣は「互いがありがとうを忘れないこと」だというのは最早言い古された表現ですが、同時に真理であると僕は思います。

何かをしてもらって当たり前なんて感情は一縷も持つべきはありませんが、家事ではどうしてもだらしない部分が出てしまうことがあります。中でも掃除はこのアバウトな立ち位置から、軋轢が最も生まれやすいジャンルの1つではないかと思っています。

僕達は「掃除は娯楽」を共有するようになってから掃除の頻度は目に見えて激減しましたが、だからこそ互いがどこかを掃除した!ということを「やらなくても良いことを頑張った」というテンションで報告し合えますし、それに対して最大限の「ありがとう」を返し合える関係が構築できました。

これは1つの考え方に過ぎませんが、もし掃除関連で同居人とお悩みの方がいらっしゃいましたら、是非参考して頂けますと幸いです。

おわりに

掃除に対しては本当に様々な考え方があると思っています。

僕ら夫婦は2人とも掃除が嫌いだったので「掃除は娯楽」と思うようになってから、強制される空気が無くなりました。「そろそろ掃除しなくちゃね」「ついでにあそこの中身入れ替えるか」という話題が日々の会話に上がるくらいで、楽なもんです。

そして掃除が嫌いでも急にやりたくなる時というのは誰しもあるもの。僕は始めると結構一気に綺麗にするタイプで、そういう時はかなり楽しみながら掃除をしています。溜まったものが一気に消えて無くなるのに快感を覚えるタイプ(※お金以外)なんです。

この前久々にガッツリ家を綺麗にしたのでこういう記事を書きました。多少汚くても問題なく過ごせるものの、やり遂げた部屋を見ているとやっぱりすっきりしますね。毎日の掃除に時間を取られるなら、そういう機会を大事にしたいと思う今日この頃。

掃除が好きな人からすると、逆にこの記事が「汚さの強制」とか「言い訳」と捉えられるものかもしれません。僕は掃除が嫌いなのでこだわる人のことを面倒臭いと思ってしまいますし、そういうテイストの記事を書きました。逆もまた然りでしょう。その考え方にも寛容でありたいものです。

皆さんも自分達に合った掃除のスタイルを話し合って、少しでもストレスの少ない日常生活をお送り下さい。潔癖症のパートナーに悩んでいる人などは、話し合いの余地があると思います。それでは。

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