どこにでもいる。「深い…」と言いたい人。
壮大な風景を見て
「深い…」
著名人の話を聞いて
「深い…」
素晴らしい映画を見て
「深い…」
天才が描いた絵画を見て
「深い…」
浅い
何故このような人達が生まれるのか、その理由と経緯を書いて行きます。
深さは「感じるもの」ではなく「語るもの」
こういう「深い…」人間達に共通して言えるのは感動を表す言葉として「深い」という単語を用いているということ。何となく目の前にあるものがそういう類いのものだということは分かっている状態、とでも言いましょうか。
例えるならば、こういう人達は湖を真上から見て底が見えないことを指して「深い」と言っているようなイメージ。別に本当に深いかどうかを確かめているわけじゃないんです。
何となく上の方から見て「深そうだな…」ということを感じている。憶測でそういうものがありそうだということを感じ取って口に出している。だから「深い」以外のことが言えない。
でも実際はそれで終わらせるべきではないのは明白です。
本来はちゃんと湖の中に潜って、底がどうなっているかを確認しなければならない。潜り方が分からないのなら、潜り方から勉強しましょう。
そして中がどのくらいの深いのか、どのような形になっているのか、何が棲んでいて何が落ちているのか、どのような水が溜まっているのか。それらを細かく確認して報告できるようにするのが理想です。
これらの情報を手に入れられるようになって、初めてその湖の深さを語ることができる。
そう、深さとは本来「語るもの」なのです。
上の方から確認して「感じるもの」ではないのです。
風景でも言葉でも作品でも何でも同じです。そこに込められた意志や人間性を勉強し知り、それが何を示しているのかを想像し、言葉にすることで初めてその「深さ」を体現することができる。そこまでできて初めて「深さを感じている」と言って良いかもしれません。
「深い…」人間は浅いところから深さを想像しているだけなので、「深い…」と言いながらも知っていることは「浅い」一言二言ことのみ。そりゃ進歩も何もあったものではありません。
ところが「深い…」人間は、こういう真の深さに繋がる話をすると決まって言うのです。
「そういう蘊蓄語りはウザい…」と。
じゃあ「深い…」って言うのやめろよ。
「すごい」「感動した」と素直に言おう
とは言うものの「深い…」人間達の感性を否定したいわけではありません。
彼ら彼女らもまた、そのコンテンツで感動している者の1人には変わりないからです。
別に深さを理解していないからと言って、感動しないというわけではありません。むしろ浅いところにあるものだけで中身を想像し感動に浸れるというのは、それはそれで1つのスキルだと言えると思います。
ニュースで悲しい話を聞くだけで涙を流せる人もいますし、ストーリーの面白さに関係なく感化される人はいます。その感受性も等しく認められるべきでしょう。実際にもそういう人達の方が数は多く、コンテンツ産業を展開する軸になっているところもあります。
「語れることが必ずしも良いとは言えない」のが大衆文化の面白いところです。ただ単純にまっすぐ受け止めるだけの人がいてこそ成立します。
だからそういう人達は素直に「感動した」とか「すごい」とか言えば良いんですよ。そこで「深い…」という言葉をチョイスするからおかしなことになるのでは…と。
それらを見て、心が何かしらの大きな影響を受けているということは真実なはず。だから、それをありのままの言葉で出してあげれば良いはずなのですが、何故か「深い…」と言ってしまう傾向が…。
「深い」と言った以上は深いものを言ってもらわないとこちらも困ってしまいます。何故なら「深い」という言葉だから(?)言葉には意味がありますから、意味通りの発言をしてもらわないと確認せざるを得ないのです。「何がどう深かったの?」と。
いやそんなこと聞かれたくないですよね?
僕達も聞きたくないです。
こうなってくると結局のところ、そこで「深い…」と出てしまうのは、「今自分は深いものに触れています」という自己満足であり、それを他人に見せびらかしたい気持ちの表れ。もっと言えば「自分は深いことを理解できる人間なんだ」と気取りたいという人間性の邪さが溢れ出てしまっている状態だからでしょう。
つまりアピールなんですよ。
深さを感じているアピール。
だから浅い認識でも「とりあえず深いって言っておけば良いや」と思ってしまっている。
そしてよく分からないことを聞いていくる人はシャットアウト!水を差さないでと言わんばかりにシャットアウト!
これが「深い…」人間が誕生してしまう経緯と理由だと思っています。
何とも「深い…」話なのでしょうか…。
けれど、そんなに自分を飾らなくても良いじゃないですか。
感動したら「感動した!」
良いものに触れたら「良い!」
すごいものを見たら「すごい!」
言葉にならなければ「…………(涙)」
で十分です。
その素直さと実直に目の前の物事を受け止める感性の方を大事にすれば、その方がずっと「深い…」で自分をごまかすより自分らしく、魅力的な姿を見せることができると思います。
そしてそういう実直な感想を述べ続けているうちに、だんだんと気になるところ、言いたいことは湧いてくるはずです。それを積み重ねることで本当に「深いことを語れる」人間に少しずつ近付いて行くのだと思います。
まとめ
「深い…」人間が生まれてしまう経緯と理由を書いて参りました。
背伸びしないで身の丈にあった言葉を使う。
通ぶらないで言えることだけを言う。
分かる範囲で自分の感想を言う。
こういうことができず、自分を大きく見せたいだけの人が増えてきているなと思います。でもそれってやっぱり少しでも知識を持ってる人からすると、すごく中身がないように見えてしまうもの。
そしてそういう人達はそこから進歩がない。
そういう自分に酔ったまま、大きな成長もなく同じようなことをずっと繰り返してしまう。それは何とももったいないことだなぁと思うのです。
思い当たる節がある方は、少しずつでもそういう自分を変えてみて下さい。周りに「こういう奴いるわ~」って思った人は、このまま溜飲を下げてお帰りください(笑)
この記事が皆さんの「深い…」を終わらせる一矢になることを祈って、この記事は締めさせて頂きます。お読み頂きありがとうございました。