『ゴルスタ』というSNSをご存知でしょうか?
徹底した管理体制で「中高生限定」を謳っていたSNSです。
2016年9月にTwitterを中心に大炎上し、そのまま閉鎖を余儀なくされました。
この記事ではその『ゴルスタ』が炎上した理由をまとめた上で、当時感じた「閉鎖的SNSの必要性」について考察した記事となります。よろしければお付き合いくださいませ。
『ゴルスタ』が行っていた問題行為
まず『ゴルスタ』が閉鎖に追い込まれるまで大炎上してしまったポイントを軽くまとめておきます。
24時間の完全監視体制
完全監視体制を敷いており、利用者の発言の全てが運営側に監視されていました。
公序良俗に反する危険な発言の監視だけではなく、運営批判を行うと即アカウント停止処分に追い込まれるなどの高圧的な運営方針が話題に。独裁政治や共産主義的などの批判が飛び交い、大きな炎上の原因となりました。
過剰な個人情報の取得
ユーザーのプライベートに関わるものだけでなく、親のクレジットカード情報を入力する欄があるなど、何のために用意されているか分からないような項目まで散見されました。
何も知らない子供を騙して詐欺行為をはたらくつもりではないだろうかなどの邪推も流れ、収拾がつかない事態に。
アカウント停止ユーザーへの行きすぎた懲罰
アカウント停止になったユーザーは反省文を書かないと復帰することができず、その反省文は『ゴルスタ』公式Twitterにて公開され、晒し上げのような措置を行っていました。
さらにアカウント停止になった場合、そのユーザーのネーム欄が「停止処分になった理由」に自動的に切り替わってしまうので、どういうことをしてしまったのかが周りの人皆に勝手に開示されてしまいます。売春などを行った女子生徒のプライベート情報などを無断公開することもあったようで、その人生的影響は計り知れません。
違反自体は良くないことだとしてもサービスである以上、懲罰措置には限度があるとネットユーザーを中心に物議を醸しました。
さらにこの懲罰措置の一環として、ゴルスタのTwitter担当者が対象利用者の本名と住所の一部を公開してしまうなどのありえない行いも。一連の炎上騒動の発端となったのもこの事件です。
利用者がいた=求められていた?
このようにSNSとして常軌を逸した展開が話題を呼び、ネット中を騒がせる大炎上騒動となりました。
様々な問題点があるように思いますが、その実とてつもない話題になっていたということは、それだけ利用者も少なくなかったということです。それはつまり需要があるサービスだとも言えます。
もしかするとその管理体制もが、今の中高生には求められていたのかもしれません。
今回は『ゴルスタ』の台頭から考えられる中高生のネット事情を軸に、一体何故こう言ったSNSがまかり通るのか。それを考えてみたいと思います。
今のネットは20~30代が中心の文化である
我々がこうして謳歌しているインターネット文化は、発展してそう長くはありません。精々20年と言ったところ。SNSなんてものはまだ10年程度しか経っていないジャンルです。
僕ら20代後半(当時)に当たる世代は、インターネットの発展と共に成長してきた世代。2ちゃんねるの出現、面白フラッシュ、ブログブーム、SNS、動画共有サービスなどなど、その全てを最初期から経験することができました。まだ出来上がっていない文化と共に自分達も成長したのです。
僕達にとってインターネットの成長は自分達の成長とイコールでした。
ネチケット(死語)という文化も子供の頃から経験できました。界隈では「半年ROMれ」なんて言葉もありました。意味は分かりますか?
そうして成熟し、今の形態に至るまでの全てを僕達は知っています。言わば、インターネットのルールを作ってきたのは我々の世代です。暗黙のルールや破ってはいけない限度など、肌で感じていますし把握できています。
でも今の中高生はそんなこと知りません。
ネチケットも知らないでしょうし半年ROMりません。
彼らは出来上がった文化に生身で飛び込んでくる存在。何も知らずに「便利なツール」としてネットを利用します。その結果Twitterで犯罪自慢をする人達が出てきたり、昔だったらありえない失敗をして行きます。
僕達は「ネットに来た者は年齢関係なく同等の存在となる」というような暗黙の了解を上の年代から叩き込まれ、ネットでは子供でも下手なことはできないという認識を共有していたと思います。でも今の中高生はそんなことできません。ネットで見ず知らずの年上から袋叩きにされる恐怖を知りません。そんな文化があることも当然知りません。
今のインターネットはそういった荒波を乗り越えてきた20代30代が創り上げてきた文化。そしてその文化圏の中には「全てを知っていて当たり前」という認識で年下を責める人たちがいます。
昔は個人運営のサイトが多く、住民の住み分けもできていたのもあり、問題は浮き彫りになり辛かったのだと思います。しかし今は全ての人間が限られたSNSという同じ空間でやり取りをしています。
初心者がいきなり突っ込んでくるにはあまりにハードルが高いのが現状だと思います。そして現代中高生はハードルの高さが分からない。というかハードルがあるかも分かっていない。
今のインターネットに属する人々は、同じ空間・同じ文化を共有するには、あまりに年齢も経験も考え方も全てが違いすぎるのです。
学習の場としての閉鎖コミュニティは必要かもしれない
こういった状況では、中高生を今のネット社会に順応させる何かが必要です。「学校でネットリテラシくらいもっとちゃんと学ばせろ」という意見もよく見かけますが、正直その「リテラシ」に該当するものにはアングラすぎる内容も多く、学校で教えるのにも限界があるかと思います。
実践的に学習できる、閉鎖されたコミュニティが求められるのも無理はないかもしれません。甘い管理体制で「中高生限定」が徹底できるとは考えにくいですし、出会い系もどきになるのを恐れるあまり、利用者に過剰な要求をしてしまうのも理解できなくはありません(それが本当に正しいことかは別として)
更に言えば、利用者の中には恐らくその環境に守られている安心感を覚えている人もいるでしょう。
ある程度ヘマをやらかしても悪事を拡散する恐ろしい大人は存在しない。行きすぎた行いは運営者が諌めてくれる。
そういう環境下でネットでの振舞いを覚えること自体は、悪いことではないのではないかと思います。一世を風靡した『mixi』も完全招待制度の安心感がブームに繋がったと思いますし、閉鎖コミュニティを作り出すことには一定の付加価値があります。
「物事の動きは10年を機に1周する」とも言います。閉鎖コミュニティを必要とする人々が再来したとしても不思議ではありません。
現に『ゴルスタ』の運営は「学校をイメージしている」というような旨の発言をしており、そのスタンスには一定の価値があると思われます(それに位置情報やクレカの情報まで必要なのかは甚だ疑問ですが)
僕らからすれば異常にしか映らない『ゴルスタ』も、新しい世代には必要なものなのかもしれない。多様化し、一つの大きな世界になりつつあるインターネットで「住み分け」を行っていくには、一部の人には受け容れられない荒々しいやり方も「一理ある」かもしれません。
おわりに
『ゴルスタ』から考えられる中高生ネット事情を書きました。最後に付け加えますが、僕自身『ゴルスタ』のやり方にはあまり良い感情を持っていません。
ですが、逆に言えば僕らがおかしいと思うからこそ、その存在には新しい意義があるとも言えます。僕らが育ててきたインターネット文化とは違う考え方ややり方が、これからのネット社会には恐らく必要になってきます。『ゴルスタ』はそれの1つかもしれません。
→(2018年追記)今ではそれが『インスタグラム』という形で定着したのだと考えるとまた感慨深い。
何かあるごとに物議を醸し、その度に我々は「自分達の文化」に則ってそれを糾弾するでしょう。きっとその意見はそれで正しいし、もし下の世代に受け容れられているなら、その文化もまた正しい。
個人情報を過剰に入手し、その他のことに利用するビジネススタイルの良し悪しはまた別問題かなと。全てを一括で切り捨てるのは無理があると思います。
正直運営批判でBANされるとか反省文で取り消しとか意味不明でした。しかしまぁそういえば学校ってそんなところだったような気もするなぁ!と思うところもあり。当人達が納得しているんだったらそれはそれで1つの完成形だったのかもしれません。
権力に縛られた経験がないと「なんであんなものに必死になってたんだろう」と後から思うこともできません。我々が外部から若者の成長の機会を奪うことにもなりかねません。悪いものを悪いと言うのは大事なことですが、当人達の都合も考えてあげるべきと思いました。
僕が『ゴルスタ』騒動を見ていて思ったことはこんな感じです!早くもブームが過ぎ去ろうとしておりますが、一応書いておきました!
最後まで読んで下さってありがとうございました!また別の記事で!