ブログ・批評・レビュー・ライティングを中心にやっているものの、シナリオの方を書くこともできるし、人前で演技もできる、歌も歌ってライブパフォーマンスもできるし、一応ドラムも叩ける、PCで作業することもできるし、普通に営業職で働くこともできるし、住宅やローンの知識もそこそこ持っている。
そんな僕なのですが、もちろん一般職に活かせる知識とライティング技術を除けば、どれもお金を稼げるレベルに極まっているわけではありません。大きな成功体験もなく、そこそこ周りの人から「すごいね」と言ってもらえる程度の力量を持っているものもいくつかあります。狭いコミュニティでイキれる程度に評価されてる実績や実力を器用貧乏に積み重ねている現状。
しかし最近思うのが「複数の場所で評価される生き方は本質的な意味で本当に"楽"だ」ということ。そしてこれを続けて行くことで、自分の周りの人達との時間を、本当の意味で大事にできるのではないかと考えています。
「認められるため」に人は仕事をする
人間が働いてお金を稼がないといけないのには大きな理由が2つあります。
1つは当然生きるため。
お金が無ければ生きられませんから働かなければなりません。
しかしそれだけの理由なら、公共の福祉のしっかりした日本であれば、わずかな収入でもなし崩し的に生きて行くことができます。いかんともし難くなり生活保護を受給すればそれで生きることも全然できるでしょう。
でもそれを進んでする人はほとんどいません。それが何故だか分からない人は少ないと思います。これこそが2つ目の理由。
「自分の居場所がない」という状況を避けるためです。
結局、人間というのは承認欲求を満たすために生きているところがあって、誰にも認められない、評価されない、必要とされないまま生きて行ける人は多くありません。だから社会的な地位や名誉、立場というものを求めるし、そのために努力もします。縋るものがない人生は辛いだけだから、自分でそれを得ようとするのです。
その方法として最も確実なのが「就職してお金を稼ぐこと」になります。
仕事を頑張って成果を出して出世して高給(名誉)を得るという行為は、間違いない立場を保証してくれる。だから嫌々ながらも仕事に一生懸命になれる人は多いのです。
でも実のところ、この「仕事に全力」という生き方には絶対的な限界があると僕は考えています。
それは「認められる範囲が限られる」というものです。
1つのものに注力しすぎると、何が起こっても「それを手放せない」人生になってしまう
仕事で頑張って認められることについて、多くの人が評価していることは何だと思いますか?
お金と役職です。
出世して給料がたくさん貰えているかどうかで、人はその人の価値を判断する傾向があります。多くの人にとっては、その人が評価されている業界の内情や実情は全く分からないものだから、それ以外の判断方法を持ち合わせていないのです。
これが「仕事に全力」という生き方の問題に繋がります。
仕事の内容についてどんなに評価を受けたところで、それは基本的には社内、良くて業界内にだけ通じる価値しか持っていないのです。確実なお金の確実なお金のやり取りがあるので勘違いしがちですが、実際に評価されている範囲その物は、体感よりずっと狭いというのが現実です。
もちろん、どんな仕事に対しても努力して結果を修めたという事実に変わりはありません。それを評価する企業は数多くあるでしょう。でもそれと似通った職種でないとやはりその真価を発揮できることはない。後から新しいことを始めようと思っても、1つのことを頑張り続けていた人が、歳を取ってからそれ以外のことに挑戦するのは困難を極めます。
それが最初から本当に好きなことで、自分の人生を懸けるべきだと思えていることなら良いでしょう。それは幸せなことだと思います。でも世の中には、したくないことだったはずなのに「しなければならない」という社会的重圧と「認められたい」という自己実現的理由から、「引くに引けない」という状況に陥っている人の方が多いと感じています。
「不測の事態が起きてもそれを捨てることができない」というのは、1つのものに注力する最大のリスクです。環境の変化で仕事を頑張るべきではない状況が来ても、それを物理的・精神的理由で切り捨てることが難しくなってしまう。
例を挙げると「子供が産まれても嫁のサポートが全くできず関係性が悪化する」「家族が病気で入院してもロクにお見舞いにも行けない」といったような状況。誰しも直面するであろうこういった問題を打開する方法が無くなってしまうのです。
僕は今フリーでのうのうと生きている人間ですが、そのおかげで嫁が怪我で全く動けなくなってしまい手術と入院を経験するという状況下で、彼女のことを最優先することができました。それが社会的・金銭的にベストなことであったとは思いません。でも、僕の周りの人間だけは最も救われる選択が取れたと思っています。
1つの仕事だけを極めてきてしまった結果「生きるため」「養うため」にしているはずだった仕事にも関わらず、自分の幸せを破壊する原因になってしまう。けれど1つのことしかしてきていないから、転職して他のことに手を出すわけにもいかない。理解を得られないまま「仕事人間」になるしかないという苦痛が待っているかもしれません。
複数の場所に居場所を作っておけば、やりがいのある仕事を手放し、時間的余裕が多そうな仕事を選択することができるかもしれません。本職とは別に副収入が得られる立場になっておけば、収入面から仕事に固執する必要が無くなるかもしれません。そういった柔軟な選択ができる生き方を、若い内から考えておくことが大事なのではないかと僕は思います。
1つのものに執着すると、後から「本当はこんなことしたくなかったんだけど…」と思っても、それに執着し続けなければならない人生になってしまいます。それにより、避けられたかもしれない不幸に直面することも考えられるのです。
仕事をすることで、他の人の役に立つことはもちろんできます。でもそれは「自分の身の回りの本当に大切な人達」よりも、仕事に付随した「顔も知らない自分を求めている他人」を優先することではないでしょうか。自分の意思に関係なくそれを強いられる人生は、幸福だと言えるのでしょうか。
人生の重要なシーン毎に柔軟な選択ができる人生を歩むということ
僕は人生の最終的な幸福値は、自分自身と自分の周りにいてくれる人達にどれだけ時間を割けたかで決まると思っています。
そしてその手段の1つとして「お金を稼ぐ」という行為が必要だと感じているのです。
その手段と自己実現を結び付けてしまうあまり「それでしか生きられない」という状況に追い込まれることに、非常に強い嫌悪感と危機感を持っている人間です。本当にやりたいこと一本で生きて行くほどの実力はどの分野にもないと思っているため、1つのことに注力して幸せを得るというイメージが湧かないのも理由ではあります。
だから自分の人生でパーソナリティやステータスとして活用できそうなものを極力増やし、どれも捨てずに抱え込んで伸ばすことを意識した人生にすることが大事なのではないかと今は考えています。
僕の持っているものの中に、今は全くお金を生まないスキルも数多くあります。このまま1円の価値もないまま人生を終えるスキルも出てくることでしょう。でも、その中には確かに「同じことをしている周りから一目置かれる」レベルのものが複数存在しています。
それが今の僕の人生において「まぁ何かが失敗しても、別のことで何となく生きて行けるだろう。困ったらどっかでちゃんと就職すれば最悪飯は食える」という余裕に繋がっています。1つのものに固執することを選ばなかったので、あまり深く悩んでいません。
その場その場で自分に合ったベストな立ち回りを選択し、評価されるところで評価を受け、それ以外は一旦保留にする。捨てるわけではなくどこかに取り置いておく。この生き方を続けて行くことが、自分の本当に大切な人達に最も多大な時間を割ける方法なのではないかと今は感じています。
1つのものを頑張り極めることはもちろん素晴らしいことです。
でも、今の日本で「世の為に頑張る」というのは、自分とその周りを蔑ろにしかねない選択です。現に仕事人間と呼ばれる人達には、結婚や子育てで失敗している人もかなり多いイメージがあります。
重ねて言いますが、それが本当に自分のやりたいことなら良いと思います。逆に自己実現と社会的地位のためだけに1つのものにこだわり続けるのは、柔軟な選択を阻害し人生の不幸を生み出すリスクと常に隣り合わせとなる選択です。
そうならないために、できるだけたくさんのことにチャレンジし、心に余裕を持てるように生き進めておく。それこそが人生における最大のリスクヘッジではないかと僕は考えているのです。
まとめ
以上、自論を書きなぐった記事でした。
社会人否定のような内容になっていますが、そもそも僕が言うこの生き方には致命的なデメリットがあります。
「富や名声を得られる保証がない」ということです。
もしかしたらロクに稼げない、仕事もまともにこなせない、中途半端でクソみたいな大人で終わる可能性も否定できません。その業を背負う覚悟や人間性、保険となる環境などのバックアップがないと取るべき選択ではないのかもしれません。
人並みの人生を歩みたいなら普通に努力して仕事して、普通に金を得られる道を歩めば手堅いです。嫌々最後まで働いて、不幸を背負って満足できないまま人生を終えるリスクはありますが、少なくとも生きていけないほど惨めな末路に陥る可能性は低いです。そのために働くのですから。
僕は基本的に人より楽しく楽な人生を送りたいと思っています。しんどい生き方はしたくありません。まして、友人や家族など大切な人に時間を使えない生き方はまっぴらごめんです。だからそれを目指して、人より良い人生を送れる保証がない生き方を今しばらく続けて行こうと思っています。
この記事が、読者の皆様にとって自分にはない考え方や価値観を学ぶ一助となりましたら幸いです。お読み頂きありがとうございました。
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