※TV番組『初耳学』の番組内で取り上げられた林修先生の発言を基に書かれた記事です。
高学歴だから無条件で持てはやされるのは学生まで。
社会に出れば全く違った評価軸で判断されます。
高学歴なのに人生上手く行かない…
高学歴なのに良い職業に就けないのはおかしい…
そんな過去の努力を否定された人達がニートになる例も少なくありません。
何故そのようなことが起こってしまうのでしょう?どうしたら社会で評価を得ることができるのでしょう?
今回の記事ではそんな高学歴の人が陥りがちな負の状況についてまとめて行こうと思います。
「やっぱり高学歴はすごい」というプラス評価
良い企業に就職し、良い仕事をするために学歴をつけることは物凄く重要です。
「高学歴だから良い職業に就けた」「やっぱり高学歴の人はすごい」という声を周りから貰うこともあるでしょう。そのような評価は自分という個人に箔をつけ、より高い信頼を得るに繋がります。ブログの世界でも高学歴を売りにしている人は数多くいると思いますね。
学歴というものは、自分の成果を裏付ける形で、個人の価値を高めてくれる力があります。人生をより良いものにしたいのであれば、持っているに越したことはありません。
しかし、高学歴だからと言って良いことばかりではないのです。それは自分の人生が上手く行っていない時に色濃く反映されてしまいます。
「高学歴のくせに?」というマイナス評価
例えば無職の人が1人いたとします。その人が大した学歴を持っていなかったとしたらどうでしょう?
ほとんどの人達は「まぁそうだろうね」「仕方ないね」「馬鹿だね」と言って、流してくれます。取るに足らない存在だとしてすぐに忘れて他のことを考えるはずです。
でもそれが高学歴の人だったら?あなたはどう思いますか?
「高学歴なのに無職?」「あいつは高学歴のくせに無職だ」「何か理由があるに違いない」など、何も持っていない人であれば出ることのなかった誹謗中傷や懐疑的な視線を向けるのではないでしょうか?他人の不幸は蜜の味と、裏話に一花咲くかもしれません。
このように、高学歴であると良いも悪いも極端に評価されるというのが現実です。
人生の歩みを止めて休憩期間に入った時など、その重圧が悪い方向にのしかかってしまい前に進めなくなってしまう人も多いそう。脱却するには、自分の力で自分の信頼を取り戻すように動くしかありません。
まとめ
学歴は自分を高めるステータスであると同時に、自分を縛る鎖でもあります。
僕自身も高校までそれなりに偏差値の高いところに通っていたので、夢を追いかけている時に「あの高校出てそんなことしているの?」と言われて少なからずダメージを受けたことがあります。勉強サボって大学は無名私立だったことについて「もったいない」と言われたこともあり、体験による実感もあります。
最終学歴である大学が名門であったならば、周りの他愛ない発言の1つ1つから受ける苦しみも何十倍にも上るはず。そういったものの蓄積が人生の行く末を左右することもあるでしょう。
ですが、実際はそう悲観したものでもないのではないでしょうか。いつか大逆転を起こせる可能性を、学歴が残してくれているからです。
それに向けた1歩を踏み出せるかどうか、それが大事だと思います。それができればどこからでも人生は変えて行ける。学歴があれば人生は詰まないのです。その下地こそが学歴によって得られる力です。僕はこの話を聞いてそう思いました。
皆さんにとってこの記事が1つの契機になりましたら幸いです。